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国内旅行
諸藩見聞録
第16回  【 愛媛県 松山藩 ・後編  】      文化の風土引き継ぎ、漱石や子規が活躍
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道後温泉本館。「神の湯」と「霊の湯」の二つの浴室と、皇族専用の「又新殿」からできている。「神の湯本館棟」が完成したのは明治27年、「又新殿」は明治32年に完成。明治時代の温泉施設が、こんなにきれいに残っているのは日本でここだけ。近代和風建築としてのすばらしさと保存状態のよさから、国の重要文化財に指定されている。

  愛媛の道後温泉では、朝の六時半にドドーンと太鼓が鳴る。道後温泉本館の開湯を告げる太鼓の音だ。一番湯は気持ちがよくて人気があるのか、もう本館の入り口には人が並んで待っている。こんな風景がずっと道後では続いている。 この温泉がいいのは、入ると湯上りの休憩室がいくつかあって、のんびりとくつろぎながらお茶を飲んだり団子を食べたり出来ることだ。道後温泉には、30本近くもの源泉があって、聖徳太子が来湯して以来、斉明天皇、一遍上人らがやってきている。その後も、小林一茶、正岡子規、夏目漱石といった人々も好んで入っている。

ぷうと云ってきせんがとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せてきた。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。尤もこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見詰めていても眼がくらむ。
夏目漱石 『坊ちゃん』より

 松山は港町でもある。東京からやってくると、そのころの玄関口は瀬戸内海に面した港であった。夏目漱石は松山中学で英語教師として過ごした頃のことをもとに書いた小説 『 坊ちゃん 』 に、主人公が汽船で到着したときの様子をこのように描写している。
 
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  城下町を走る「坊ちゃん列車」。
 
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  上記3枚の写真はすべて「子規堂」。正宗寺(しょうじゅうじ)内に俳人・正岡子規が17歳まで過ごした邸宅を模して建てられた木造平家建の建物に、子規が使っていた机や遺墨や遺品、写真など約100点が展示されている。子規堂前の広場には現存する最古の軽便機関車「坊っちゃん列車」もある。
   
 そして、漱石が松山に到着後、最初に乗った松山を走る汽車のことを 「 マッチ箱のような汽車だ。」 とも書いている。このマッチ列車は、現在は 「 坊ちゃん列車 」 として、装いを新たに観光用に松山市内を走っている。漱石の時代は蒸気機関車だったが、現在の機関車の動力はディーゼルである。

 長編のシリーズ 『 街道を行く 』 の中で、司馬遼太郎は伊予松山について、次のように書いている。
 「 伊予松山藩十五万石の久松家は家康の異父弟の家系で、徳川の親藩であった。最初は家中に三河衆などもいて武張った風もあったかもしれないが、次第に伊予ぶりになり、江戸後期からは俳諧が盛んになって、たとえば武事や政論を好む土佐藩などとは別の知的風土を形成した」。
 そんな歴史が、文化を好み、おおらかな風ではあるが、なかなかしぶとく、粘り強くもあり、「 人間の精神も単純ではない 」 という松山の人物像を形成していったのだろうか。
 松山で生まれ松山で育った文学者には正岡子規がいる。俳句の革新、写生文の提唱など若くして生涯を終えるまで、日本の文学界で多くの仕事をした。そして子規は終生故郷を愛した。
 ほかに、松山ゆかりの文学者としては松山市の御幸寺門外の一草庵に住み、 そこで、亡くなった漂白の詩人、種田山頭火らがいる。

 松山の市場にあふれる農産物としては、みかんが全国的に知られている。温州みかんを初め、いよかん、ぽんかん、でこぽん、はるみなど種類も豊富だ。

【写真提供】(財)松山観光コンベンション協会