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国内旅行
諸藩見聞録
第14回  【 岩手県・盛岡藩(南部藩)・後編  】      早池峰、姫神と奥羽山脈が広がる
雪解けの岩手山(おやま)じゃ。
南には早池峰、北には姫神山。
北上川と中津川の合わさるその先に、
不来方(こずかた)のお城が。
浅田次郎『 壬生義士伝 』より
  写真
  牧草地から岩手山を臨む夏の風景。
   
 浅田次郎の 『 壬生義士伝 』 の中で、その主人公が大坂の南部藩蔵屋敷で切腹する場面だ。故郷を思い起こす展開で、描写されている。「不来方のお城 」 とは藩主の居城である盛岡城のことである。
 浅田次郎は、この壬生義士伝の取材のために春夏秋冬、盛岡を訪ねたそうだ。故郷の盛岡をこよなく愛し、その思うところの 「 義 」 を貫き通す、主人公の吉村貫一郎の気持ちがよくでている。

 南部藩は幕末に起こった戊辰戦争で、仙台藩とともに奥羽越列藩同盟 (おおうえつれっぱんどうめい) に加わった。南部藩の家老だった楢山佐渡は仙台藩の家老但木土佐と詰めて、決した。しかし、最新兵器を持った新政府軍にはかなわず、盛岡藩はじめ東北の諸藩はいずれも降伏する。盛岡藩主の南部利剛は謹慎させられ、その嗣子利恭は十二万石に減封された上に、一時仙台領の白石に移封される。翌年、盛岡に復帰した、家老の楢山佐渡は責任をとらされて処刑されている。
 この幕末から鳥羽伏見の戦いにかけての動乱の時代に生きた南部藩の下級武士の一つの生き様をとらえたのが 『 壬生義士伝 』 であり、そのころの盛岡と、動乱の京都の姿が鮮明に描かれている。
 盛岡は東北の中でも一色ちがった風が吹くといわれる。花巻出身の宮沢賢治の作品である 『 銀河鉄道の夜 』 が、メルヘンの世界を広げているように、心に豊かな広がり、奥行きを盛岡の人々から感じることが多い。それは遠野物語に出てくる 「 座敷童子 」 の話などでもうかがえる。岩手山に代表されるような穏やかな自然の風景にはぐくまれているからかもしれない。そうした自然の中で、南部の武士魂も育っていったのだろうか。
 
  写真
  盛岡の材木町商店街のメインストリート「いーはとーぶアベニュー」。石畳が敷かれ、宮沢賢治 とその作品にちなんだ6つのモニュメントが並んでいる。
   
 盛岡は山地が多く、檜、杉、松、栗などの木材が豊富だった半面、農地は少なく新田の開発を進めたが、庶民の生活は豊かではなく土地の境界をめぐる争いも多かった。
 一方、金を始め、鉄や銅の鉱産物には恵まれていた。南部藩士の大島高任は、釜石の郊外に幕末、洋式の高炉を建設して製鉄に成功した。鉄砲や大砲が製造されて、戊辰戦争に敗れて後に、新政府軍にこれらの武器は引き渡された。日本の製鉄業の草分けともいえる。南部は鉄製品が豊富に造られている。

 また、三陸海岸では鮑やホヤなどの海産物がとれ、干し鮑は、長崎から海外にも輸出されたという。「 南部の鼻曲がり鮭 」 も知られている。
 平安期の奥州の覇者である平泉の藤原氏が築いた中尊寺の金色堂などの建物でも南部産の木材が使われている。また、南部の漆器にも藤原秀衡にちなんで 「 秀衡塗り 」 とよばれているものがある。多くの彩色と金箔を使用して、豪華である。
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  (写真右)もりおか啄木・賢治青春館。盛岡市指定保存建造物となっている。/(写真左)国の重要文化財指定でもある岩手大学農学部。 宮沢賢治も学んだ旧岩手高等農林学校。現在は資料館として活用している。
   
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写真提供:(財)盛岡観光コンベンション協会