北海道
青森県
秋田県
岩手県
山形県
宮城県
福島県
栃木県
群馬県
茨城県
埼玉県
千葉県
神奈川県
東京都
静岡県
愛知県
岐阜県
三重県
新潟県
山梨県
長野県
富山県
石川県
福井県
滋賀県
京都府
大阪府
兵庫県
奈良県
和歌山県
鳥取県
島根県
岡山県
広島県
山口県
徳島県
香川県
愛媛県
高知県
福岡県
佐賀県
長崎県
熊本県
大分県
宮崎県
鹿児島県
沖縄県
国内旅行
諸藩見聞録
第12回  【 長崎・幕府直轄地 】    異国の医学や科学が次々ともたらされる
  写真
  大浦天主堂。今残っている日本最古の天主堂として知られる。電停の大浦店天主堂下で降りる。
   
 長崎は、豊臣秀吉によって公領とされる前は、キリシタン大名として知られた大村純忠の勢力圏にあった。純忠はポルトガル船との交易によって、財政を強化していった。しかし、純忠の子、喜前(よしあき)の代に、その地を没収、公領とされてしまう。
 大村純忠は関ヶ原の役では、最初は西軍として参戦したものの、結局、徳川家康側につき、領土は安堵された。だが、長崎は戻されなかった。このため大村藩は徳川時代も長崎貿易の利潤は得られず、財政は厳しいものとなった。
 
  写真
  オランダ坂。幕末から明治にかけて埋め立てて造られた外国人居留地にある石畳の坂道をオランダ坂とよんでいる。異国情緒豊かなところだ。
   
 江戸時代は鎖国体制がしかれたが、幕府の直轄地であった長崎には出島を通じてオランダ、中国との交易が行われた。出島にはオランダ商館が設けられ、オランダ人の居留地となり、中国人についても唐人屋敷が用意された。
 長崎には、老中直属の遠国(おんごく)奉行が置かれ、貿易の実行、管理を任務とした。長崎奉行は遠国奉行の筆頭格とされ、町奉行としては江戸の町奉行に次ぐ実力を持つようになった。これは長崎での、交易が幕府にとって大きな財政的な支えとなってきていたためだ。
 長崎に設けられたこの貿易の拠点である出島は、日本での唯一の公式の世界各国との交流の場であったため、いろんな商材をはじめ文化や医学、科学なども次々ともたらされた。
写真   写真
和蘭商館跡(左)と出島のミニ模型(右)。日本とオランダ、中国をつなぐ窓であった出島は、埋め立てによって造られた。弧状の砂州を使って扇方にできており、出島和蘭商館もそこにあった。
     
  写真
  グラバー邸。イギリスの商人であったトーマス・グラバーは幕末にグラバ−商会を設立して日本との交易を行った。グラバーは坂本龍馬らとも交流をもった。
 幕末には、長崎に実力のある藩から、武器購入のために藩士が集まってきている。土佐藩を脱藩した坂本龍馬はこの地で、日本で最初といわれる株式会社、亀山社中を設立して、各藩から交易を目的にやって来る藩士に対応した。長州藩に武器弾薬を手当てしたのも龍馬である。 亀山社中は、長崎港を見下ろせる丘の上にあり、坂本龍馬らはここから港を出入りする船を調べて、商売をしていた。
 グラバー邸で知られるグラバー商会のグラバーも、長崎にやってきた武器商人の一人。グラバーは長州の伊藤博文を初め、森有礼ら幕末から明治維新にかけて活躍した人物らと幅広く交流している。そして、長洲に大量の鉄砲を調達し、その鉄砲が幕府の長州征伐の際に使われたりもした。
 
 土佐藩はじめ、幕府派、勤皇派など藩内の抗争が幕末には激しくなったが、長崎は幕府の直轄地だったことから、こうした争いからは逃れられていたようだ。脱藩した坂本竜馬らが活躍できたのもそうした背景があったからだといえる。
 
  写真
  グラバー園から見る長崎港。ここからは港の船の出入りがよく分る。亀山社中を設立した坂本龍馬らも丘の上にあった同社中から港の船の出入りをチェックしていた。
   
  一方では、アジアに関心を持ち始めた世界の列国の日本への攻勢も次第に激しくなってくる。19世紀にはいると、オランダ、中国以外の、イギリス、ロシア、米国などの外国船がやって来るようになってきた。
 文化元年(1804年)にはロシアの施設として、レザノフが長崎にやって来る。その後も、イギリスの軍艦、フェートンがオランダの国旗を掲げて、強引に長崎港に入ってきている。
 幕末から明治維新にかけ世界に向けられた日本の唯一の窓であった長崎は、内外から激しい圧力を掛けられ、おおきく揺れた。
写真提供:(社)長崎県観光連盟