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国内旅行
諸藩見聞録
第9回  【 松江藩(島根)】宍道湖の夕日と神話の郷
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  宍道湖は沈む夕日が美しい。水面がきらきらと光り、それを眺めていると吸い込まれてゆきそうだ。
   
 静かに波打つ水面が赤く染まってゆく。宍道湖に沈む夕日は美しいと、定評がある。その宍道湖を見下ろす格好でそびえているのが松江城である。
 
  松江という地名が定まったのは関ヶ原の戦の後、慶長十三年(1608年)である。堀尾吉晴の命名といわれる。もともと堀尾氏は慶長五年(1600年)に富田城に入ったが、土地が狭く、交通の便も悪い。そのうえ出雲の東部に偏りすぎているため、出雲の国全体を統治するためには立地的によくないと考えた。
 
 そこで候補に選ばれたのが、松江だ。このあたりにかって勢力を張っていたのは尼子一族。その尼子一族を攻めるために毛利元就が、出城を築いた場所である。当時は末次郷とか、白潟郷とかと呼ばれていた。この地を見て、堀尾父子は城の構築を決意した。ちょうど宍道湖と中海を結ぶ大橋川の周辺に位置している。
 
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  堀尾吉晴が築城した松江城。松江観光のシンボル的存在で、春は桜が綺麗だ。城下には小泉八雲が住んだ家もある。
   
 尼子一族は出雲、隠岐、備前一帯を領地としていたが、毛利元就に攻められ、尼子義久の時代に富田城に孤立、毛利の軍門に下った。
  堀尾吉晴の子、忠氏は若死にしてしまう。その子忠晴には継嗣がなく、そのため松江城には若狭の小浜から京極忠高が入るが、一代限りで断絶する。忠高も継嗣に恵まれなかった。その後を継いで松江城の城主になったのは松平直政だ。以来松江では松平の治世が続くことになる。
 
 その後、 松江藩のかげりは、享保年間に起こった蝗(イナゴ)の大群の急襲などの天災がきっかけとなった。思いもかけないこの大蝗害によって、享保17年(1732年)ごろのコメの収穫は七割程が落ち込んだ。藩の財政は破綻(はたん)してゆく。
 
 そこで、松平冶郷の時代に朝日丹波を筆頭とする改革派が、徹底した財政削減策と増税策を同時に進行させた。財政再建は江戸藩邸での節減は当然のこと、千人近い解雇、つまりリストラも実行した。さらに富農、富商の持っていた特権も全て剥奪、債務の取り消しも実施した。
  藩の事業としては、利益率の高い薬用ニンジンなどに絞り、国産化の展開も図った。そのうち朝鮮産にも劣らないものが松江藩でも生産できるようになった。この徹底改革により松江藩の財政は救われた。
  また、治郷は「不昧(ふまい)」と称して茶道に熱を入れた。彼は茶人大名としても知られ、石州流不昧派を創始している。これにより、山陰の小さな都市は、茶道で知られる文化都市となる。藩の財政は落ち着いたが治郷は、当時人気のあった相撲の雷電為右衛門の贔屓(ひいき)をし、谷町筋になるという一面もあった。 
 
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  島根県出雲市にあり、縁結びの神として知られる。神無月には全国から八百万の神が集まるという。写真は 「出雲大社の大祭礼」の風景。
   
 出雲は多くの古代神話の舞台となっており、神々の集まるところとして知られる。出雲大社は縁結びの神として有名で、伊勢神宮と並び称せられる大社だ。
  島根にはもうひとり忘れられない人物がいる。出雲阿国である。阿国は出雲大社の巫女説などがあるが、その経歴は定かではない。
  阿国の一座は京都の周辺で、念仏踊りなどを演じる。奇抜な衣装を使っていたが、そのうち簡単な筋立ての芝居もはじめて、評判を取る。やがて「阿国歌舞伎」といわれるようになり、この阿国の舞台が、男歌舞伎に変わってゆき現代にもつながっている。