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国内旅行
諸藩見聞録
第7回【薩摩藩(鹿児島藩)】前編 幕末まで引き継がれたエネルギー
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  妙円寺詣りの長い行列。毎年鹿児島市内から伊集院町に向かう。
  関ヶ原の戦いがあった日の前夜に当たる9月14日 (旧暦/現在は毎年10月第4日曜日に行われる) から、翌朝にかけて、鹿児島市内から伊集院町の妙円寺(現在は徳重神社)に向け毎年長い隊列が向かう。「 妙円寺詣り 」 という。400年も延々と続いている。よろい甲冑に身を固めた者や、笹を手に振り回しているものなど。そして、「 妙円寺詣り 」 の曲をみんなで歌いながら。
  これが現在も鹿児島の年中行事になっている。しかも、この歌は22番まであり非常に長い。島津軍が関ヶ原の戦いに西軍として参戦して、薩摩に引き揚げるまでをその内容としている。この歌が徳川の治世にも延々と歌われ続けてきたというのがこれまた、面白い。
 
 薩摩の島津家は、関ヶ原の戦いで西軍に兵を出した。島津義弘がその指揮をとった。
  一千余の島津軍は北国街道よりに待機した。臨戦態勢はとったものの、石田三成の戦いへの参加要請には応じなかった。夜明けから始まった戦いも午後2時過ぎには大勢が決まった。島津の陣にも徳川勢の伊井直政、本田忠勝らが攻めかかり始めた。そこで、義弘は意を決し、敵中突破を試みる。徳川勢の中央突破を決行したのである。それしかこの戦場を出て、国に帰る方法はないと考えたのだ。
  敵の強固な陣を切り崩しつつ、家康の本陣前を通過して大坂を抜け、瀬戸内海から日向に渡り、ようやく帰郷した。激しく、厳しかったこの戦いを思い起こし、記憶を鮮明に残しておくためにも、いつの日からか、「 妙円寺詣り 」 の行列が始まった。
 
明くれど閉ざす 雲暗く 薄(すすき)かるかやそよがせて
嵐はさっと吹き渡り 万馬いななく声高し
 
 これが 「 妙円寺詣り 」 の際に唄われる歌詞の一番だ。この歌を歌いながら40キロの道のりを歩いて、妙円寺に向かう。この寺には、関ヶ原出陣の際の大将、島津義弘公が祀られている。
  歌は22番まであり、関ヶ原の戦いの様子がよく分る。島津藩の人々はこの歌を毎年歌いつつ、関ヶ原の無念を晴らす機会を狙っていたわけで、そのエネルギーが幕末に爆発したともいえる。
 
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(左)丸に十の字の島津軍。関ヶ原の戦いでは、「逃げた」とは言わない。あくまで「敵中突破」である。
(右)徳重神社。廃仏毀釈で妙円寺跡に建てられた。
 
 島津家は関ヶ原の戦いで、西軍に参加したが、井伊直政らの力を得、徳川家康からは引き続き薩摩を領地とすることを許された。この本領に加え、琉球を持つことで、72万石の大名となった。
  島津は源氏の血を引くといわれるが、定かではない。島津家初代の忠久は薩摩、大隈、日向の守護になり、島津家の基礎を作った。
 
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  国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている出水市「麓武家屋敷群」。第17代藩主島津義弘が、肥後に対する守りを強化するために外城制度を設けたが、なかでも薩摩の北の玄関である出水には特に力を注いだといわれてる。
   
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  鹿児島市・仙巌園(磯庭園)。島津家第19代光久が1658年に鶴丸城の別邸として造った庭園。壮大なスケールは天下の名園と言われており、国の名勝に指定されている。また 日本初のガス灯といわれる鶴灯籠、琉球国王から献上されたと伝えられる望嶽楼などまさに歴史の宝庫ともいえる。
   
  島津家16代の島津義久は当時勢力を九州で伸ばしていた大友宗麟を耳川の戦いで破り、さらに竜造寺隆信を沖田綴の戦いで破り、一気に九州を攻め上がる。しかし、筑前の高橋紹運との戦いに苦戦する。そのころ全国を手中にした豊臣秀吉の九州征伐に阻まれることになり、島津家は薩摩、大隈と日向の一部に抑え込まれることになった。
 だが、その後琉球を手中にしたことから、島津は琉球を起点に世界に目を開くことができるようになり、経済力とあわせて、中国、ひいては欧州などの世界情勢を知りうる力を得る。それが幕末の雄藩として島津が活躍しえた理由の一つでもあろう。
 
 もともと薩摩はほかの地域に比べて、郷土意識が強く独立心のある土地柄だ。歴史的にも隼人が大和王権に反乱を起こしたという記述があり、また、幕末には薩英戦争を引き起こしている。鹿児島で英雄とされる代表格は西郷隆盛だが、西郷は西南の役で中央を相手に戦い、敗れて城山で自刃している。誇り高い武士の気質が強く勇猛果敢な一面と、一方潔さも兼ね備えている。
写真協力:日置市商工観光課、(社)鹿児島県観光連盟