そら飛ぶ庭
  

【知の庭】 おらが藩
2008.01.21
 
渡辺 誠

 江戸のはやりことばに、こんなのがあった。
江戸の町々で、お稲荷さまと犬の糞とならんで多かったのが、「伊勢屋」という屋号の商家である、という意味だ。
伊勢商人は、早くも元和年間(一六一五〜二三)から新興都市の江戸に進出して、やがては、中央の商業界を席捲するに至ったのだが、その背景の一つに、伊勢という国の風土と人びとの気質があったことは見落とせない。

 
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伊勢神宮には全国から参宮客が集まった(皇大神宮神楽殿・舞楽倭舞) 写真提供:神宮司庁

 

 今の三重県の大半を占めたこの国は、北は尾張・美濃・近江に、西は伊賀・大和、西南は紀伊に接しており、近畿と東海とを結ぶ要地として、古くから開発が進められた。また、自然にめぐまれた伊勢は、古来、海と山の幸が豊かであった。

 

 伊勢商人が広域活動を展開して、日本商業史上に大きな足跡を刻したのも、その第一の要因は、このような豊穣の土地柄に加えて、海上交通の便を昔から得ていたことにある。すなわち、伊勢湾に開かれた桑名、大湊(おおみなと)などの良港が、当時最も活用されていた輸送手段である海上輸送の便宜をもたらしてくれたのだ。

 
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自然に恵まれた伊勢は古くから開けた(松阪港)

 
 

 しかも、ここは「お伊勢参り」の地だ。諸国から来る伊勢参宮客が、松坂(現・松阪市)などに宿泊する。その他国人を案内し接待する御師(おし)たちによって、津々浦々の情勢が伝えられる。このために伊勢人は各地の人びとに触れる機会に浴して、自然と地方の事情に明るくなった。
このことが伊勢の町人に、進取(しんしゅ)の気象をもたらしたことは重要である。これこそが、はるばると伊勢商人を江戸に進出させた商人魂の根っこにあったからだ。

 


  さて、そういう伊勢商人が第一の売り物としたのは、繊維製品である。そのブランド名を「松坂木綿」という。
中世末期から伊勢では木綿の生産が盛んだったが、近世初頭に藤堂氏が入国してからは麻と木綿の交(ま)ぜ織りが行われ始め、これが伊勢参宮のみやげとして重宝がられることとなった。そこで伊勢の商人たちは、それを「松坂木綿」の名称で京都、さらには江戸に持ち込み、着々と販売網を広げていった。

 

 
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多くの松阪商人(伊勢商人)が利用した宿(松阪市)

 

 かれらが江戸の大伝馬町に木綿問屋の軒をつらねるに至ったのは、延宝年間(一六七三〜八一)頃で、その後、これら木綿問屋仲間が伊勢商人の江戸店(えどだな)の代表として定着し、下って八代将軍吉宗の治世、享保年間(一七一六〜三五)になると江戸店での営業を主とするようになっている。
かくて、「表に懸かり候のれんを見候へば、壱町(いっちょう)の内に半分は伊勢屋」(『落穂集』)というほどに、伊勢商人は江戸の商業の世界を風靡することになったのである。

 

 述べたような伊勢商人からすれば異端に属すが、今日、伊勢出身の商人の中で最も知られているのは、三井高利(たかとし)であろう。すなわち、「三井グループ」の前身である「越後屋呉服店」と「三井両替店」を創業し、三井財閥の礎石を築いたその人である。
江戸時代の初め、三井高俊(たかとし)という商人が松坂にいた。
武家の生まれながら松坂に住みなした商人で、質屋と酒・味噌商を兼業して、豪家の一つに数えられるまでになった。それは一つには高俊の妻女が聡明で、商才優れていたからだと伝えられる。

 

 この三井高俊に男子四人、女子四人あり、長男の俊次は元和年間の末頃、松坂の豪商たちの例にならい、江戸に出て呉服太物(ふともの)問屋と両替商の出店を構えた。末子の高利は、この長兄の江戸店を手伝うべく、十四歳の時に江戸に出ている。そうして二十八歳までの十四年間、そこで商才を発揮した後松坂に帰り、三十一歳にして独立、大名貸しをふくむ金融業と米穀を中心とする商いを始めたが、やがて五十二才を数えて江戸に「越後屋八郎右衛門」の暖簾を掲げる呉服店を開いたのだった。松坂の本店はそのまま金融業を続ける一方で、高利は越後屋の呉服商売の仕入れのために、京都にも店を設けた。
越後屋の商法は、まことに独創的であった。

 

 その柱としたのは、諸国商人(あきんど)売り(諸国商人を対象とする卸売り)、そして、店頭で現金売りをする店前(たなさき)売りである。後者は、井原西鶴の『日本永代蔵』に、
 ――呉服物現金安売 無掛値(かけねなし)
 と書かれた新商法で、それは三井家に甚大な利益をもたらしたのである。節季ごとに勘定をするのが普通だった当時、掛売りをせず現金販売をするかわりに、売価を正しくして掛値をしないその商法は、まことに画期的なものであり、大都市の庶民の求めるところをよく満たすものだった。
 三井高利は、それから江戸・京都・大坂の三都で、呉服および両替業を中心に商いを発展させて、ついに天下の大商人にのし上がったものである。

 
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 俗に「近江泥棒 伊勢乞食」とその当時いわれたほどに、伊勢商人は近江商人に劣らぬ、したたかな商魂をもって近世の商業界に君臨した。しかし、不正競争に走り、様々な事件のネタをメディアに提供して、そのたびに陳謝を繰り返しているこのごろの商人と違い、かれらには、あきんどとしての気骨があった。
武士道に照らしても遜色のない、商人道というものが、そこには貫かれていたことを忘れてはなるまい。

   藤堂氏の領地、伊勢は、士、商ともに、「品格」を有していたのである。
 
 
渡辺 誠 (わたなべ・まこと)
1945年、台湾・高雄生まれ。九州大学中退。
週刊誌記者を経て、文筆業。著書は『勝者への指南書』(PHP研究所)、『幕末剣客秘録』(新人物往来社)、『禅と武士道』(KKベストセラーズ)など多数。
【写真協力:松阪市、神宮司庁】
 
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