【知の庭】 おらが藩
2007.11.05
 
白い浜木綿の上を蝶々がひらひらと魚の種類が多くて美味しい遣唐使の寄港地、福江島
渡辺 誠

 四十九年一睡夢(いっすいのゆめ)

 一期栄華一盃酒(いちごのえいが いっぱいのさけ)

 
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上杉謙信/長尾景虎

 

 上杉謙信の辞世の偈(げ)と伝えられている。
 ひとねむりする間の夢であったと、自分の四十九年の生涯を括(くく)り、それは盃一杯の酒をのむほどのことに過ぎなかった、とその一生の栄光を切ってすてたこの詩句は、すでに死期を予感していたものか、享年四十九の臨終の一ヶ月前に作られていたともいう。馬上で大杯をかたむけたというほどの酒豪、上杉謙信の死因は、脳卒中だった。
 彼は天性、合戦を好み、おのれを武神とされる毘沙門天の権化と信じ、勇躍(ゆうやく)して戦場に馳せたが、そのいくさぶりは天才的であり、芸術的とまで評価を得ている。

 霜は陣営に満ちて秋気(しゅうき)清し
 数行(すうこう)の過雁(かがん)月三更((つきさんこう)
 越山(えつざん)併(あわ)せ得たり能州(のうしゅう)の景
 遮莫(さもあらばあれ)家郷(かきょう)遠征を憶う

 自作の漢詩として伝えられている、この七言絶句は、天正五年(一五七七)九月、能登の七尾城(石川県七尾市)を落とした時、その本丸で催した月見の宴での作だ。
 謙信はまた、出陣中の武将の心境を、香り高い幾つかの和歌に詠みのこしているが、これも芸術家肌の天才武将の面目躍如たるものがある。
 彼の養子の上杉景勝を初代藩主とする米沢藩には、「好学」の藩風があった。
 その原点は、文才豊かだった上杉謙信にあるといえる。

 
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春日山城からの城下

 

 謙信は、甥の身から養子に入った景勝を愛した。今日に伝えられる彼の自筆の文書に、『伊呂波尽(いろはづくし)』の手本がある。能筆の行書体の一字一字に、右側には音(おん)、左側には訓読みが、小さく片仮名でふってある。好学の武人、上杉謙信の子を慈しむの情が、せつせつと伝わってくる書である。
 景勝は生涯、笑顔というものを人に見せたことがなかったという。臣下の前では常に太刀に手をかけ、眼光炯炯として、にこりともしない。
 あるとき猿が頭巾を奪って木に登り、その頭巾をかぶって樹下の景勝を見てうなずくのを目にして、あるかなきかの薄笑いを口もとに浮かべたことがあった。それが主の笑った顔を近習の者の目撃した最初で、そして最後だったという話も伝えられるほどである。
 寡黙にして、用事を言いつけるほかはほとんど口をきかないもののふであった。それで、晩年のことだが、参勤の供揃いは、しわぶき一つせずに足音のみで通るのが常だったそうな。
 そういうかたぶつの景勝だったが、養父謙信による幼少からの薫陶(くんとう)を受けたこともあって、文事を好んだようである。
 
 鶯よ 初音(はつね)つんだせ 聞くべいぞ
 その如月(きさらぎ)の 十六夜(いざよい)のころ

 これは豊臣秀吉に「ひとつ、そちのお国言葉を入れて詠んでみよ」と言われ、景勝が詠んだ即興歌だ。当意即妙の文才を感じさせる一首である。
 その景勝の股肱(ここう)の家宰にして、豊臣政権下で陪臣(ばいしん)ながら米沢三十万石を領した直江兼続(なおえかねつぐ)もまた、同好の士であり、かつ、向学心旺盛の武将であった。
 米沢に好学の精神がはぐくまれた背景に、最も重要な役割を果したのは、この兼続だったといえるかもしれない。

 
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春日山城絵図

 

 2009年のNHK日曜大河ドラマ「天地人」の主人公に取り上げられることになっている文武兼備の智将、直江兼続は、上杉景勝の「ふところがたな」であり、両者の間はいわゆる「君臣水魚の交わり」そのものだった。彼は幼少の頃より上杉謙信の側近く仕え、その感化のもとに、学を好み、詩を愛する人となったのである。
 主景勝に従った朝鮮の役では、戦乱にまぎれて散逸しかけた宋版(宋時代の出版)の古典(史記・前漢書・後漢書・春秋左氏伝など)を蒐集して帰国している。これは日本史上に類例をみないことであったが、一方、京都の要法寺において、自ら『文選(もんせん)』『論語』などの書を出版(俗にこれを「直江版」という)、学問の振興に尽力したものである。
 さらに、禅門の学僧・九山(きゅうざん)を米沢に迎え、禅林寺を建ててこれを藩士たちのための学問所となし、「禅林文庫」と称している。そして、この学問所の蔵書は兼続死後も藩主歴代によって手厚く保管され、藩士の子弟の教育の糧(かて)とされた。
 米沢の文教の礎をきずいた大恩人が、直江山城守兼続であった。

 

 米沢藩の藩主第十代・上杉鷹山の藩政改革の業績は、現在でも基幹産業とされる「米沢織」の前身を創始したことなど、枚挙にいとまがないが、学問を奨励し、安永五年(一七七六)に藩校「興譲館」を創設したことは、特筆すべき功績の一つだ。
 上杉謙信に始まり、直江兼続に継がれ、脈々と流れてきた好学の伝統、文教精神は、鷹山にいたって絢爛たる花を咲かせたといえよう。
 基督者の内村鑑三の『代表的日本人』に、五人の一人として世界に紹介された上杉鷹山では、松岬(まつがさき)神社に祀られている。米沢びとが、その祭神の一に、直江兼続を加えることを忘れなかった奥ゆかしさが思われる。

 
 
渡辺 誠 (わたなべ・まこと)
1945年、台湾・高雄生まれ。九州大学中退。
週刊誌記者を経て、文筆業。著書は『勝者への指南書』(PHP研究所)、『幕末剣客秘録』(新人物往来社)、『禅と武士道』(KKベストセラーズ)など多数。
 
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