【知の庭】 おらが藩
2007.09.25
 
白い浜木綿の上を蝶々がひらひらと魚の種類が多くて美味しい遣唐使の寄港地、福江島
渡辺 誠

 お城は石垣 七重に八重に

 堀は深堀 武者返し

民謡「肥後五十四万石」の一節である。

 日本三名城の一に数えられる熊本城の美の極まるところは、何といっても石垣ではなかろうか。
 
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――石垣のうへ頭上に覆(くつが)へりて空(そら)見へず。
 とは、肥前平戸藩主松浦静山(まつらせいざん)の随筆『甲子(かっし)夜話』にみる評だが、この武者返し、扇勾配(おうぎこうばい)の石垣には、「清正流三日月石垣」の呼称もある。
 加藤清正の築城になるこの城の異称を「銀杏(ぎんなん)城」というのは、完成した時に記念のために天守閣の前に、銀杏が二本植樹されたのが由来とされる。このとき清正は、この銀杏が天守閣の高さに達すれば必ずや兵乱が起こるだろう、と予言したそうな。
 時は今から百三十年前の明治十年(一八七七)、熊本鎮台司令長官谷干城(たてき)指揮する籠城軍は、薩摩兵の包囲攻撃を受けながら、よく城を堅守したけれども、城中に出た火により、宇土櫓と不開門(あかずのもん)など一部の櫓と門を残して、ほとんど城は灰燼に帰した。銀杏樹がそのとき大天守(一の天守・高さ三〇メートル)の高さにまで枝を伸ばしていたので、さてさて清正公(せいしょこ)さんの予言が当たったとバイ、という風評も立ったという。

 

 豊臣秀吉の九州征伐の後、肥後国に封ぜられた佐々(さっさ)成政は、入国早々に失政の責任を問われて切腹したが、その肥後を二分した秀吉より半国(二十五万石)を与えられて、隈本(くまもと)城を居城としたのが加藤清正だ。秀吉子飼いのこの武将は関ヶ原の役後、肥後全土を領して、五十四万石の太守となる。その清正が、一説に慶長六年(一六〇一)から七年の歳月をかけて築いたのが熊本城である。
 しかし、とかく勇猛ぶりばかりが逸話・伝説中に際立つこの男は、築城のみならず総じて土木建築に長じていて、当時一流の技術の粋をあつめ、熊本の河川の改修や、新田の造成を行なっている。
 その事業は、まことに規模雄大の構想のもとに施工されたもので、今日の専門家たちも、その計算しつくされた工事の巧緻の妙、質の高さに瞠目(どうもく)せずにはいられないという。そして、「技師長」としての清正の才気と、旺盛なる精力が、そこに想像させられるのだという。

 
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加藤清正像
 

 こうして肥後の自然をほとんど一変させたといえる清正だが、それはもとよりこの国の農業生産力を高めて、豊かな経済力の基盤を築くための業であった。
 一国の主として至極当然の事をやってのけたといえばそのとおりだが、かれはこのほかに外国貿易を率先して行なうなど、その領国経営に注いだ情熱の痕跡は、現在にいたってもなお生彩を失っていない。
 肥後人のいわゆる「清正公崇拝」のよってきたるところである。
加藤清正の肥後支配は、長くはない。肥後に入ってからは二十二年間、これを一国まるごと治めることになってからだと、たかだか十一年間の短さでしかない。慶長十六年(一六一一)にかれが五十歳で歿した後、二十余年を経て肥後加藤家は改易ともなっている。
 だが、熊本藩の原型は清正によってつくられたといえる。

 

 さて、その加藤氏のあとに寛永九年(一六三二)に豊前小倉から転封して、以後十一代にわたって熊本を治めたのが、細川氏である。藩祖の細川忠利(ただとし)は、九州のすべての国と隣接する肥後にあって、九州の「鎮め」たるべき任を徳川幕府より内々に負わされていた。
 いわゆる「肥後細川氏(近世細川氏)」は、足利義晴(十二代将軍)の落胤(らくいん)ともいう藤孝(ふじたか・幽斎)を初代とするが、その藤孝、次代の忠興(ただおき・三斎)いずれも、「政治巧者」であり、その子の忠利も、そういう家風を重んじた。熊本の民心がその恩徳を讃えてやまぬ加藤清正に、忠利があえて尊信の念を示し、業績を踏みにじらないように留意したのも、細川氏一流の老獪ともいうべき政治の手法によったのである。
だから、熊本城は細川氏歴代の居城としてより、今も加藤清正の築いた城として、城下を含む、熊本県の少なくとも北半分の人びとには、もっぱら親しまれているようである。

 熊本城は今年築城四百年祭を迎えて、数々の復元・整備事業が進められている最中だ。

 加藤清正の遺風が、ひとしおまた、吹きつのるこのごろである。

 
【写真協力: (財)熊本観光コンベンション協会】
 
渡辺 誠 (わたなべ・まこと)
1945年、台湾・高雄生まれ。九州大学中退。
週刊誌記者を経て、文筆業。著書は『勝者への指南書』(PHP研究所)、『幕末剣客秘録』(新人物往来社)、『禅と武士道』(KKベストセラーズ)など多数。
 
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