企画の庭プロデュース / 自費出版


著者 内村シズヨ  表紙・イラスト山中桃子
A4版。76ページ。頒価1,000円。
送料は当方負担(海外は実費)。

御注文は下記のFAXまたはE-Mailでお願いします
FAX (03)3272-7908
kikakunoniwa@soratobuniwa.sakura.ne.jp


 「日本へ。 朝鮮半島縦断引き揚げ日誌」は企画の庭がプロデュースした自費出版の書籍です。
 太平洋戦争終戦の日の昭和20年(1945年)に、玉音放送を聞いた筆者は、その日から日本に引き揚げる決意をする。
 北朝鮮と中国の国境に近い「恵山」にいた筆者は、そこから徒歩、馬車、貨車などを使って、飢えに苦しみながらも、朝鮮半島の人々の好意を受けながら、やっとの思いで、釜山にまでたどり着く。筆者である母親は24歳、一緒につれて引き揚げてきた子供は3歳と一歳の男の子だった。しかし、福岡の郷里に到着直後、一歳の下の子は栄養失調で、手当てのかいもなく死亡する。
 この引き揚げの記録を書いた貴重な女性の手記である。 


 第一章  終戦、そして北朝鮮での生活


玉音放送が流れて

 「今日は盆の十五日だな……」と思いながら、よい天気なので、リヤカーを借りて出かけることにしました。面白半分で作った麦が、実ったからです。いつも家で手伝いをしてもらっている十歳の少女セピラのお父さんを雇って一緒に行きました。私は宣治を負んぶし、寿一郎と警察署の前に来た時は、ちょうど十二時でした。昭和二十年(一九四五年)の八月十五日のことです。
 前の広場で、署員一同が頭を下げて何か聞いておられる様子でした。私は何だろうと思い家に帰ってみると、川島さんの奥さんが血相変えてこられ、「日本は降伏したらしい。」と言われました。一瞬頭から血が引いた思いがしました。さっき私が広場で見たのは、陛下の玉音放送で、終戦の知らせを聞いておられた姿だったようです。
 「私に知らせるために、飛んできた」と川島さんの奥さんは言われました。私は麦どころの騒ぎではなくなり、「まだ畠にチジャンサリ(キビ糯)や、馬鈴薯もある」「人に盗られないよう、早く採りに行きましょう」と言って、川島さんとセピラのお父さんと一緒に採りに行きました。





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