【趣の庭】沖縄・黄金(くがに)の庭
2009.8.31    
昔ながらの手作り泡盛
日本最西端の酒造所に行ってみた
島の秘話

林 秀美
1768
与那国島に立つ最西端の碑。いまは1800人ほどが暮らす島だが、戦後の一時期には、10培近くの人で賑わった時代もある。明治時代には11軒もの泡盛製造業者がいたそうだ。

日本で最も西に位置する与那国島は、
東京から南西へ1900キロ、
台湾まで、わずか111キロの海に浮かぶ島。

周囲30キロ足らずの島の海岸線は、険しく切り立った崖が多く、
独特の景観を醸し出している。
この島に渡るのは難しいという意味で
「渡難(どぅなん)」と呼ばれた島である。

1768
晴れ渡った日には、島から台湾が見えることもあるという。
まさに「国境」の酒!

その名をそのまま泡盛の銘柄「どなん」としたのが、
島に3軒ある酒造所のひとつ、国泉泡盛だ。

創業は1961(昭和36)年。
いまも、ほとんど当時のままの設備で泡盛を作り続けている。
親しみと敬意を込めて「家内制手工業」と呼びたくなるような、
手作り感あふれる工程を見学させてもらった。

1768
集落の中にある国泉泡盛。
蒸留が始まると、集落中が甘い米の香りに包まれる。

【泡盛の製造工程を大ざっぱに解説すると…】
(1) 米(多くはタイ米)を蒸す
(2) 蒸した米に黒麹菌をまぶして、麹米を作る
(3) 麹に水と酵母を加えて発酵させ、もろみを作る
(4) 熟成したもろみを蒸留する

という具合。

酒造所を訪れたときは、
ちょうど(1)の工程。
蒸し上がった米をかき混ぜているところだった。

1768
汗だくで、蒸し上がった米をほぐしていく。
これはまんべんなく蒸し上げるために欠かせない作業だそう。

雑菌が入らぬよう締め切った場所で、
白衣などで身を固めて作業しているのかと思いきや、
開け放たれた窓やドアからは、外気がどんどん入ってくる。

もちろんメーカーによっては、
もっと厳密な管理をしているところもあるけれど。

昔から、こうやって作っていたんだから
泡盛は作り方まで南の島に似合う(?)、大らかなお酒なんだろう。

それには泡盛に使われる、黒麹の力が関与しているとのこと。
黒麹は雑菌の繁殖を抑えるクエン酸を大量に出すので、
高温多湿の沖縄での酒造りに最適なのだという。
(九州などの焼酎は、白麹を使うのが主流)

こう書くと、ラフな酒造りと誤解されそうだけど、
この先の工程では、とくに細かい温度管理や品質チェックが欠かせない。
まるで赤ちゃんの世話をするように、
こまめに麹の温度を見なければならないので、
女性が麹の面倒を見るところもあったそうだ。

さて、隣の部屋では、(2)(3)の工程を経て出来上がったもろみが、
釜に移されて、湯気を立てていた。

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これも今では珍しい「直火式・地釜蒸留」。
タンク式の蒸留機が主流だけど、いくつかの酒造所では
もろみを入れた釜を、直接、炎で熱して蒸留している。
焦げ付かないよう、つきっきりでかき混ぜて、
アルコール以外のガスを飛ばすのだそう。

釜の前で聞いた話によると
4名の合名会社として立ち上げた国泉泡盛では、
創業当時は、4名それぞれの自宅でもろみを作り、
それを会社に持ち込んで蒸留していたという。
そのため、出来上がった泡盛は、
味も風味も、4名4様だったそうだ。
会社といっても、蒸留釜を共有しているだけというのに近い。

へー。
お酒はひとつの場所で、
一貫生産されるものと思っていたので、ビックリだ。

米の甘〜い香りが立ち込めるなかで話を聞いているうちに、
もろみは沸点に達したようで、釜にフタをして蒸留開始。

ふふふ。
そして、最初に出てきた泡盛は……!

というところで、
ウマイ話は、また次回。


林 秀美(はやし ひでみ)
1961年、香川県生まれ。
沖縄在住・フリーランスライター。大阪〜東京の出版社勤務を経て、フリーに。97年、唐突に沖縄に転居。沖縄で初めて出くわす、この地ならではの習慣などを面白がっているうちに10年経ってしまった。主な共著に「沖縄のナンダ(シリーズ)」(双葉文庫)、「沖縄オバァ烈伝(シリーズ)」(双葉社)、「沖縄なんくる読本」(講談社)など。

 


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