【趣の庭】音楽日記・欅の木漏れ日
2009.7.27     
欅の木漏れ日 Vol.24
Critical Essay on Music

電子音楽的作曲家がオーケストラ曲を作曲するとき
湯浅譲二の生誕80年を祝う

石塚 潤一      

 同世代の武満徹に比べ、湯浅譲二が紛れもない日本を代表する作曲家として認知されたのは、かなり遅くになってからのことだったように思う。芸術ジャンルを跨いで多くの知己があり、尺八と琵琶とをソリストとしてニューヨーク・フィルハーモニックと共演させるという、極めてキャッチーな代表作(ただし、武満がこの作品:「ノヴェンバー・ステップス」で実現したことは、邦楽器と西洋楽器を用いての西と東の出会い、と単純に語って済むようなものではないのだが)を持つ武満が、日本の作曲界を代表する作曲家となったのはある意味必然でもあった。だが、そのことを割り引くにしても、湯浅譲二に対する評価は不当なまでに遅れてはいなかっただろうか。

 それは一つに、湯浅が1981年から96年まで、カリフォルニア大学サンディエゴ校の作曲科教授として、アメリカに活動の中心を移していたからだろう。作曲家として脂が乗り切った50代から60代にかけて、海外で生活しているということは、国内での受容を考えるならどう考えてもプラスに働きはしない。

 また、それは一つに、1929に生まれ、慶應義塾大学医学進学課程に在学する中、ほぼ独学で作曲を修めたという経歴のためでもあろう。非常にバカバカしい話であるのだが、日本では、とかくこうしたアカデミー外の独立独行の人の評価は遅れる傾向にある。音楽そのものよりも、出自や経歴といった付加的な情報に左右される評者がいかに多いか、という、極めて恥ずべき話でもあるわけだが。

 だが、湯浅譲二は決して知られざる作曲家ではなかった。NHKの大河ドラマ:「元禄太平記」「草燃ゆる」「徳川慶喜」の音楽を担当し、本田路津子によって歌われた連続テレビ小説「藍より青く」のテーマソング「耳をすましてごらん」は、後に南野陽子によってカバーされることになる。「走れ超特急」や「インディアンがとおる」といった童謡を聴いて育った読者もいらっしゃるに違いない。それでも、筆者には湯浅譲二の作曲家としての本領が、広く認知されてきたとはどうしても思えないのだ。

 その若き日より、湯浅譲二の興味は、音楽的時間の多層化と、それを超越的な音響体として鳴らすところにあった。ゆえに、湯浅が1950年代後半より電子音楽の創作を志向したのは必然ともいえる話なのだ。磁気テープの上に数々の音素材を固定していく電子音楽ならば、通常のオーケストラ曲での作曲とは違い、複数のテンポが同時進行するように音素材を配列することも意のままだし、そこに人間が演奏するがゆえの手癖が入り込むこともないため、その音風景を一種超越的な雰囲気へと発展させることも出来る。

電子音楽作曲の中から

 シンセサイザーが輸入される10数年も前のことである。当時の電子音楽の制作の現場では、電子回路を作って発振された音や、録音された素材を、協力する技術者が作り上げた専用のフィルターなどで加工しつつ、一つ一つテープへと固定(つまり録音)していったのだ。そうした中、湯浅は方眼紙上のグラフとして音響を彫琢する方法論へと行き着くことになる。

 具体的にはこういうことである。上の図は、筆者がバルトークの「弦楽器、チェレスタ、打楽器のための音楽」の第一楽章を、縦軸に音高を、横軸に時間をとってグラフ化したもの(の一部)である。こうしたグラフとして書き直してみると、音響エネルギーの推移としての音楽を、西欧音楽的拍節感に囚われない視点から分析しなおすことが出来るだろう。

 逆にいえば、こうしたグラフで作曲を行うならば、伝統的な音階にも拍子にも頼ることなく、音の構築物としての音楽を作り出すことが出来るということだ。シンセサイザー導入以前の日本の電子音楽は、鍵盤を使うことなく作曲されていたから、まさにこれは新たな音楽の世界の探求に打ってつけの方法論であった。これゆえに、湯浅は、ホワイトノイズのための「イコン」を初めとする、世界音楽に銘記されるべき傑作電子音楽を世に送り出すこととなったのだ。

 その後、湯浅はこのグラフでの作曲を、オーケストラ曲や、ピアノ曲など、器楽の作曲にも応用することになる。こうした方法論によって作曲された作品は、オーケストラ曲でもピアノ曲でも、五線譜上での発想とは異なった、電子音楽のような超越的な響きを纏うだろう。それは湯浅がしばしば口にする、人間が存在する以前の、始原の音風景というべきものにも繋がって行く。ただ、演奏家はグラフを読んで演奏することは出来ないので、演奏家にはグラフを五線譜へと変換したものが渡されることになる。

 しかしながら、こうした湯浅のスタンスは、これまで十全に理解されていたとは言いがたい。何より、永らく電子音楽は現代音楽の世界においても鬼子のように疎んじられ、そこで生まれた美学が、器楽の演奏に反映することは殆どなかった。また、グラフで作曲された作品も一度五線譜に変換されてしまえば、奏者はあくまでこれを解釈する中で演奏を行うしかない。この楽譜の力というのは甚大なもので、同じ音楽でも五線譜に書き直されているということが、奏者の表現をグッと従来的なものに引き寄せてしまうものなのだ。

 つまり、ここにこそ問題の本質がある。電子音楽の創作で培ってきた音の強度は十分に演奏に反映することなく、ゆえに、湯浅譲二はその作品の質に相応しい評価を得ることが出来なかった。五線譜の裏に隠された、湯浅の電子音楽的な、より始原的な眼差しは顕在化することがなく、オーケストラもピアノもあまりに行儀良く鳴らされ続けてきた。だが、そうした時代はもう終わろうとしている。

 今月11日に<東京の夏>音楽祭の一環として行われた、日本の電子音楽を集めたコンサートは、若者を中心に満席の賑わいとなり、テクノに代表される商業的電子音楽を聴いて育った世代は、湯浅らの電子音楽を違和感なく受容することが明らかになった(このコンサートの選曲者は坂本龍一であり、彼が率直に湯浅への尊敬の念を口にするビデオ映像も流された)。

 もはや電子音楽は鬼子ではない。そこで生まれた美学が正当に評価され、そうした音楽を普通に聴いて育った若い奏者が、器楽曲においても、湯浅の電子音楽的感性を損ねない強烈なる演奏を披露しはじめた。80歳の前衛音楽家の作品が、ようやくその真価を問われ、受容されようとしている。これほどの慶事は、そう存在するものではないだろう。

 

 80歳を迎える今年から来年にかけて、湯浅譲二の個展が少なくとも3回実施される。一つは、まさに80歳の誕生日に行われるバースデーコンサートで、ここでは湯浅が独奏/独唱のために作曲した作品が9曲演奏される(8月12日、東京オペラシティリサイタルホール)、残りの2回は、現在計画中の段階であるが、来年の3月から7月にかけて実施されるとのこと。

 CDでは、オーケストラのための「時の時」全曲を収録したfontec盤(FOCD9288)を第一に推す。現代音楽の演奏に定評のあるミヒャエル・ギーレンがNHK交響楽団に客演した際の記録だが、ギーレンはN響を見事に統率し、素晴らしい演奏を聴かせる。1975年の段階で、湯浅譲二のオーケストラ曲でここまでの演奏が行われていたというのは、正直、驚異という他ない。


石塚潤一 (いしづか・じゅんいち)
 1969年、東京都出身。
 東京都立大学大学院理学研究科修士課程修了。
 「松平頼則がのこしたもの」他の批評によって、
 2002年度「柴田南雄音楽評論賞」奨励賞を受賞。
 以後、読売新聞、ユリイカ、ミュージック・マガジンなどに寄稿。
 2008年からはコンサートの制作も行う。
 家業である御嶽神社の宮司でもある。

 >>著者ブログはこらちから


 


トップページ会社紹介著作権についてお問い合せ
Copyright (c) Flying Garden Rights Reserved.