【趣の庭】音楽日記・欅の木漏れ日
2009.5.25     
Critical Essay on Music

歪んだ長方形の場に鳴り響く
40声のモテット

石塚 潤一      

マルチ・チャンネル・サラウンドの世界へ

 DVDで映画をご覧になる方ならば、おそらく5.1ch(チャンネル)という規格をご存知に違いない。前方に左、中央、右と3つ、後方に左、右と2つのスピーカーを配置し、さらにもう一つ低音再生用のスピーカーを使った、合計6つのスピーカーによる音場再生の規格である。映画のDVDなどに使われ、この規格によって再生を行うと、例えば「プライベート・ライアン」(スティーブン・スピルバーグ)では、身の周りのあらゆる方向でマシンガンが咆哮し、その中で仲間が次々と斃れていく戦場の音世界を、嫌気が差すくらいのリアルさで体感できる。

 こうした規格が採用されているのは映画ばかりではない。DVD、そしてSACDという新しいメディアの誕生によって、音楽においても5.1chでの再生が行えるソフトが少しずつだが増えてきている。しかしながら、音楽、ことにクラシック音楽の場合、演奏は基本的に聴き手の前面で行われるのみで、背後からの音というとホールの壁を反射してくる間接音であったり、演奏会場で鳴らされる熱狂的な拍手といった程度のものでしかない。

 確かに、これらは音楽鑑賞における臨場感にとって、非常に大切な要素であるのだけど、モノラルとステレオとの間に存在したような劇的な変化を作り出すか、というと少々難しいところがある。問題は、余分なスピーカーに部屋を占領されてまで再現しようと思えるのか、というコスト・パフォーマンスの話なのだが、そこまでせずとも、と考える方が多いためか、クラシック鑑賞を中心としたオーディオの世界では少々色物のように思われているようである。

 しかしながら、クラシックの世界にも、後ろから音が飛び出てくるような音楽が無いわけではなく、そうした作品を5.1chで再生したときの音には、通常のステレオ再生では決して経験できない感動がある。たとえば、俗に「千人の交響曲」と呼ばれるマーラーの第8交響曲では、金管楽器を中心としたバンダ(別働隊)が客席後方に配置され、ステージ上のオーケストラや合唱との間で音響を交錯させたりもする。

 現代音楽となると、三群に分割したオーケストラを聴衆の左、前、右に配置して、別々の指揮者によって統率させるカールハインツ・シュトックハウゼンの「グルッペン」(この作品は、今年の8月にサントリー・ホールでNHK交響楽団によって演奏される。当日は客席をかなり潰して聴衆の左右に特設ステージを作り出すのだとか)、指揮者を中心に円盤状にばら撒かれたオーケストラが演奏する中に聴衆もまたばら撒かれるヤニス・クセナキスの「ノモス・ガンマ」といった作品が存在するため、5.1chという規格は、まさにそうした音楽の収録でこそ真価を発揮するはずだ。それゆえか、この規格によって音声を収録したDVDやSACDのリリースは、近年、現代音楽分野で特に目立つようにもなってきたのである。

5.1ch再生における悩み

 さて、過日。川崎弘二氏の労作と評する他ない著書:「日本の電子音楽 増補改訂版」(愛育社)に、筆者も批評を寄稿した関係で、この本の出版を記念するイベントで講演とDJ(のようなもの)を行ってきた。その際、せっかく参集頂いた方に貧弱なスピーカーで音楽をお聴きいただくのは心苦しく、自宅より持ち込んだ3つのスピーカーと会場の2つのスピーカーとで、5.1chで収録された電子音楽の音源を交えて、それこそアンプが火を噴かんばかりの音量で再生を行ったのだ。

 それが非常な好評であったわけだが(この日はかけなかったが、クセナキスのテープ音楽「エルの伝説」のマルチ・チャンネル再生は、ここ10年の私の音楽体験の中でも最強といって良いほどの衝撃を受けた恐るべきものである。刺激的な音楽をお求めの方は是非)、前方、後方、あわせて5つのスピーカーから音を出すとなると、会場の中で適正なバランスで音楽を聴ける席が限られてしまう、という悩みが生じることとなる。ステレオならば、2つのスピーカーから等距離にある席は、程度の差こそあれ、一応適正なバランスで音楽を聴くことが出来るのだが、前と後、のバランスの加減もそこに加わってくるとなると場はさらに限定されてしまう。というわけで、会の趣旨を事前に知っていた方は、より良い席を取り逃すまいと開場前から並んでいる、ということにもなったわけだ。

40個のスピーカーから放射される40声のモテット

 しかし、今月、銀座のメゾンエルメス8階の展示スペースで体験したサウンド・インスタレーションには、そうしたマルチ・チャンネル再生での「聴取環境の最適化」への欲望を撹乱するかのような視点が込められていて、筆者は上述の講演を行ったばかりということもあり、ほとんど虚をつかれるような衝撃を受けることとなった。

 会場に入ると40個の同型同種のスピーカーが整然と立ち並び、そこからヨーロッパ中世の声楽曲が流れているのを目の当たりにする。これは、カナダ人の芸術家:ジャネット・カーディフ と ジョージ・ビュレス・ミラーによる「40声のモテット」(2001)という作品で、16世紀イングランドの作曲家:トマス・タリス(1505頃−1585)が作曲した40声のモテット「我、汝の他に望みなし」を、円周上に配置した40個のスピーカーを使って再生するという試み。この40個のスピーカーの一つ一つが、モテットの一つ一つの声部、つまりは一人一人の歌い手に対応してその声のみを再生している点にこの作品の肝がある。

 この「我、汝の他に望みなし」というモテットは、成立年代を考えるなら怪物的な作品という他ない作品である。通常のモテットは3声、4声、5声で歌われることを考えると、40声というのがいかに常軌を逸しているかが理解されよう。この作品の異常さは、イングランド女王:エリザベス1世の「40歳」の誕生日を祝うために作曲されたという事実によって、どうにか当時の聴衆から許容されたのに違いない。5声部×8の合計40声が、互いに絡み合いつつ、もはや常人の耳で細部まで認識することが不可能なほどの複雑さで重ねられていく。和声の単純さが、中世風の響きをどうにか担保しているという風でもあり、聴く人によってはこれを現代の作品と誤解するかも知れない。

 さて、会場となったメゾンエルメスのイベントスペースは、短辺1、長辺3といった按配の長方形であり、ここに40個のスピーカーが短辺に5個、長辺に15個配置されていた。この配置が、会場の形状ゆえのものであることは明らかであるが、この配置こそが、作者も意図していない効果をもたらし、筆者に衝撃を与えることになったのである。

 というのも、もし、(本来の展示のように)40個のスピーカーを完全に同一円周上に並べることが出来たとしたら、この円周の中心近くを最上のリスニング・ポイントとすることが出来るかも知れない。理想的なポイントにて、40名の合唱団があたかも自分のための歌ってくれているような気分で音楽を楽しむことが出来るかも知れない。だが、長方形の会場はそうした最適化を許さない。

歪んだ場がおしえてくれること

 つまりはこういうことである。筆者も、当初は会場の中央で音楽を聴いていたのであった、が、自分が立っている場所がベストのリスニング・ポジションでないことは直ぐにわかる。というのも、曲の冒頭からして、自分から最も遠い短辺上のスピーカーのみが音を出すわけで、曲中にしばしば存在するそうした局面では、あたかも現前に存在していた音楽が、逃れるように遠方へと引いて行くかのような、いうなれば音楽的場から完全に取り残されるかのような感覚を味わうことになるのである。

 かといって、音楽を追いかけてそのスピーカーへ近づいて行っても、別の局面では、音楽は全く反対側のスピーカーへと移動してしまう。つまり、ベストなリスニング・ポジションなどどこにもありはしない。「最上の席」がないことに気がついた聴衆は一所に留まることを諦める。そうした気づきは、観客に40個のスピーカーの合間を回遊させる原動力となるのである。

 こうして、長方形の部屋に配置されたスピーカーが放射する歪んだバランスを気にすることを諦め、場面に応じて立ち位置を変えてみたり、一つ一つのスピーカーへと近づいたりしてみれば、一体として聴かれていた音楽/音響が、40のそれぞれに個性的な声を束ねたものである、ということに改めて気付かされることにもなる。通常、私たちが録音物によってこの作品を聴く際には、40の声を2つの、多くても5つほどのスピーカーに集約する形で聴いているわけだし、実演に接するにしても、40声のうちの一つの声に集中できるような歪な場が用意されることは有り得ない。つまり、私たちはこうした全体を作る個の一つ一つにまで耳を澄ます機会を、あらかじめ奪われているのだ。

 こうした奪われた機会を取り戻す中で私たちが得られるものは数多い。音楽における個と全体との関係を思考し、その境界がどこにあるのかを見極ようと試みることも出来る。だが、それだけではない。この40個のスピーカーの合間を回遊する私やあなたの一つ一つの軌跡もまた、唯一無二のものとなるはずだ。このことが、この作品を体験した観客の体験一つ一を多様化し、そうした多様性こそが芸術的経験の豊かさに結びついていくことも理解されよう。長方形の会場が図らずも作り出した歪んだ音場。この歪みが経験させてくれたものは例えようもなく深い。

石塚潤一 (いしづか・じゅんいち)
 1969年、東京都出身。
 東京都立大学大学院理学研究科修士課程修了。
 「松平頼則がのこしたもの」他の批評によって、
 2002年度「柴田南雄音楽評論賞」奨励賞を受賞。
 以後、読売新聞、ユリイカ、ミュージック・マガジンなどに寄稿。
 2008年からはコンサートの制作も行う。
 家業である御嶽神社の宮司でもある。

 >>著者ブログはこらちから


 


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