【趣の庭】音楽日記・欅の木漏れ日
2009.4.13     
新自由主義の荒涼たる砂漠に、
武満徹の音楽が似合うということ
小林正樹「切腹」(松竹1962)とその音楽

石塚 潤一      
■ラーメン・つけ麺・僕イケ面

 狩野英孝という芸人を密かに応援している。というのも、彼が東北の某所に鎮座する由緒ある神社の息子で、「そんなバカなことやってないで、早く神社を継ぐための修行をしなさい」というようなことを常々言われてきた、と聞き、いや、これは本当に、我が事のような話だと思ったからなのだ。さらには、当連載の第16回でも言及したように、三位一体改革後の地方の疲弊は甚だしく、いくら由緒がある神社であろうと、東北の田舎で神職を務めていくのが大変でないわけがない。と、なると、「神社を継げ」と言う側の複雑な胸中も透けて見えるようで、自分の息子たちには「神社を継いで欲しい」とは決して言えずに死んだ、筆者の父親の姿なども思い出してしまう。というわけで、やはり応援するしかない、という思いを一層強くするというわけなのだ。

 さて、これはしばらく前のことになるが、夕食を摂りながらぼんやりとテレビをみていたら、そんな彼を歌手としてデビューさせるという、極めて手の込んだウソを長期間に亘って仕込んで行く番組を放送していた(いわゆる「ドッキリ」という奴である)。元来ミュージシャン志望で自ら作詞作曲もするという狩野は、徹底的におだて上げられ、それゆえに滑稽な勘違いを重ねて行く。この姿は逐一VTRに収められ、別室でVTRを観る芸能人たちが次々に突っ込みを入れ、笑い転げるという趣向。だが、ちょっとまて。狩野を嘲笑しているあなたは、人を嘲笑できるほどの音楽活動をしていたかしら?

 そこに出演していたタレントの一人が、他の番組の企画で歌っているのを聞いたことがある。まあ、曲も歌唱も微妙なもので、正直狩野との音楽性の差異があるようには感じられない。両者を隔てるのは、片や番組のドッキリ企画、片や大物司会者のプロデュース、という当初の立ち位置の差でしかなく、そのタレントには人を上から目線で嘲笑するだけの実力的根拠などありはしないのだ。

 この胸糞悪い企画に秀逸な点があるとすれば、狩野とそれを嘲笑する芸能人の関係が、現代という時代のある側面の戯画となっていることだろう。格差は努力差と喧伝する方々がいるが、そんなものに一体どれだけの説得力があるというのか。同一価値労働に同一賃金が支払われるという原則が確立していない日本では、同じ仕事をしながらも正社員と派遣社員といった雇用形態の違いで、天と地ほどの待遇の違いが存在する。いや、もちろん、努力して高いステイタスを維持している方がいらっしゃるのは事実だろう。だが、それ以上に、たまたま就職した時期が売り手市場だったというような、めぐり合わせの良し悪しに起因する格差ばかりが目に付くように思うのだが。

■小林正樹「切腹」の世界

 さて、優れた映画は世代を超えて世の中の真実を語る。小林正樹の「切腹」が、まさに現代の観客のために作られたとしか思えない作品となっているならば、まずこのことをもって傑作として褒め称えるべきだろう。

写真1

 寛永庚午七年、江戸の井伊家の屋敷に元芸州広島福島氏の家臣:津雲半四郎(仲代達矢)と名乗る浪人があらわれる。元和5年、主家が没落して以来、領地を離れて江戸に出、裏店に居を構えつつ再度の仕官を望むが、何せ天下泰平の世の中、仕官の口などあるわけがない。ならば、いっそ腹を切って武士らしい最期を遂げようということで、玄関先をお貸し願いたい、と口上を申し述べる。

 それを聞いた井伊家江戸家老:斎藤勘解由(三國連太郎)は顔を曇らせた。「また、来たか」。と、いうのも、とある藩の江戸屋敷で、かつてそのような向上を述べた浪人を、「近頃天晴な心構え」と取り立てたことがあったのだという。爾来、大名屋敷へと押しかけては玄関先で腹を切るという浪人が続出しているのだ。もちろん、訪ねてきた浪人を片端から仕官させるわけにはいかないし、玄関先で腹を切らせるわけにもいかない。よって、幾らかの金銭を渡してお引取り頂くわけで、これはまあ、形を変えた強請りに違いない。

 斉藤は津雲に向かい、かつて千々岩求女(石濱朗)という浪人が同様の口上で訪ねてきたことを話はじめる。「同じ芸州福島藩の浪人、ご存知ないか?」「いや、お家ご隆盛の折、家臣は一万二千人を数えたので」。その際、このような者に金銭を渡して帰したとなれば、井伊家の名折れ、家中の人々は一計を案じ、中庭を貸して本当に腹を切らせてしまった。しかも、千々岩の二本差はどちらも竹光。武士の魂を売り渡すとは武士の風上にもおけない奴、と、その竹光を使わせて凄絶な切腹をさせたという。

 「では、ご貴殿はいかがなされる心算か?」。斉藤は津雲にそう語りかける。正直を言えば、そんな凄惨な状況を再現するなんて御免被る。斉藤は、津雲がこの話に怯んで逃げ出すことを望んでいるのだ。だが、津雲は全く意に介さず、「拙者の大小はその千々岩とやらとは違い、竹光ではない。心配召されるな」とあくまでも腹を切る心算という。津雲が井伊家を訪ねてきたのにはそれなりの理由があるのだが、それはこの後、謎解き的に明らかになっていく。

■恐るべきスタッフワーク

 水も漏らさぬ綿密さで構成された脚本は今年90歳になる橋本忍によるもの。黒澤明の「羅生門」「七人の侍」「隠し砦の三悪人」などの脚本を担当し、「私は貝になりたい」の原作・脚本でも知られる脚本家の、最高傑作と言って良い仕事である。時代劇であるから、斬り合うシーンも幾らかあるものの、これは殺陣で魅せる映画ではない。むしろ、津雲と斎藤との間で交わされる、その身/その立場を賭けた言葉による斬り合いを身上とするドラマである。

 小林は極めて様式的な撮り方をしており、たとえば津雲と千々岩が井伊江戸屋敷を訪ねて口上を述べるシーンも、寸分違わず同じ口上を同じ立ち位置で述べるよう演出されている。「また、来たか」という斎藤のウンザリとした心情は、この様式化によって強調され、それはその後の展開の差異も際立たせる。映画の大部分を占める津雲と斎藤の会話では、その切り返しのタイミング、それぞれの発する言葉と画像設計の関連、どれもが徹底的な思考を背景に精密に組み立てられており、これぞプロフェッショナルによる映画と驚嘆するほかない。

写真1 

 音楽は、当時30代になったばかりの武満徹によるもの。琵琶の音が素材として使用されているが、もちろん、時代劇だから邦楽器を使用しました、というようなお手軽なものではない。琵琶の音には時に電気的な変調がなされ、その音の立ち上がりの切先はどこまでも研ぎ澄まされている。この研ぎ澄まされた音が、二人の登場人物との間で交わされる会話を美事(というのは武満がしばしば使った当て字である)に角付けし、また、あるときは裁断していく。立場の違うもの同士の会話というものは、しばしば荒涼たる砂漠のようなものだ。武満の厳しい音楽はそうした場によく馴染む。時には、素材を録音したテープを逆回転することで生まれた音も聴こえ、これは坂本龍一が大島渚の「御法度」(1999)のために書いた音楽に、直接的な影響を与えてもいる。

 津雲半四郎は、武家社会の非情さ、その体面だけを取り繕ったかのような欺瞞へと切り込んでいった。現代の観客ならば、その欺瞞が狩野英孝を嘲笑する芸能人から感じられる違和感や、「格差は努力差」という空虚な標語と全く同じ種類のものであることに気づくに違いない。だからこそ、この映画は今こそ多くの人によって観られる価値がある。そしてこれを観るならば、安易な感情移入へと傾斜せず荒涼たる人間の関係をどこまでも際立たせる武満の音楽、そのようなものが現代のメディアには徹底的に欠けていることに気づかされるだろう。私たちの世界は、安易な感情移入のみでもって問題を先送りするような、大甘なBGMで装飾できる世界ではもはやないのだ。

石塚潤一 (いしづか・じゅんいち)
 1969年、東京都出身。
 東京都立大学大学院理学研究科修士課程修了。
 「松平頼則がのこしたもの」他の批評によって、
 2002年度「柴田南雄音楽評論賞」奨励賞を受賞。
 以後、読売新聞、ミュージック・マガジンなどに寄稿。
 2008年からはコンサートの制作も行う。
 家業である御嶽神社の宮司でもある。

 >>著者ブログはこらちから

 


トップページ会社紹介著作権についてお問い合せ
Copyright (c) Flying Garden Rights Reserved.