【趣の庭】音楽日記・欅の木漏れ日
2008.11.25     
高度成長の女
雪村いづみとその時代

石塚 潤一      
■映画女優:雪村いづみ

 戦後を代表する歌手が美空ひばりなのだとすれば、雪村いづみはさしずめ日本の高度成長期のアイコンということになるだろう。

 筆者にとっての雪村いづみといえば、まず何よりも岡本喜八監督の初監督作品「結婚のすべて」(1958)である。この映画には、雪村が仲代達矢と議論しながら去っていくシーンがあり、これが特に心に残るのだ。機関銃のように言葉を繰り出しつつ、有楽町の広い交差点のその先をどこまでも歩いていく彼らの後姿は鮮烈で、良く晴れた秋の空のごとき開放感に溢れている。公開当時の観客は、このシーンに全く新しい女性像を見て、そして彼らの向かう先の経済成長をほとんど触覚的なリアリティを以って感じたに違いない。

 この映画を観るとき、岡本喜八がそのデビュー作において、もっとも喜八的な女優とめぐり合った幸福を思う。雪村の歯切れの良いセリフは生気に満ち、映画の中に独自のリズムを生み出している。この映画で雪村の姉を演じるのは、いささか古風な雰囲気を纏う新珠三千代で、この2つの女性像の対比が、言葉のリズムによっても鮮やかに描き出されているのだ。後に「フォー・ビートのアルチザン(職人)」と呼ばれた岡本喜八が必要としていたのはこういう女優である。リズムを探求するバンドが優れたドラマーが出会うように、コンロン・ナンカロウとプレイヤー・ピアノが出会うように、岡本喜八は雪村いづみと出会った。


写真1
 

 雪村いづみは、1937年(昭和12年)に東京で生まれた。語学に堪能だった父親は、まず商社に勤め、戦時中には自ら事業を起こした。終戦後には通信社に勤めることになる彼は、かつてギターやウクレレを演奏するセミプロ級の奏者でもあったという。母親は水の江瀧子に憧れて家出同然に広島から出てきた人物だったから、やはり相当の音楽好きと言うべきだろう。音楽が溢れ、さらには進駐軍の関係者も出入りし、生の英語が飛び交う家庭。そうした恵まれた環境で雪村いづみは育った。しかし、父親は雪村が9歳のときに自殺。母親は洋裁店を開き生活を支えようとしたが考えたがうまくいかず、雪村は何不自由のない生活から一転、高校にも通えないほど困窮した状態へと追い込まれることになる。

 そうした中で迎えた15歳の頃、家計を助けるつもりで新橋のダンスホールに出演したのを機に、雪村は歌手として活動を始める。1952年(昭和27年)、サンフランシスコ講和条約が発効し、ラジオ・ドラマの「君の名は」が放送された年のことだ。血のメーデー事件なども起こったこの年、日本の大衆はまだまだ貧しかった。

 翌1953年(昭和28年)には、「思い出のワルツ」でレコードデビュー。これが20万枚を越える大ヒットとなり、雪村はスターへの階段を駆け上がっていく。雪村は、いつしか美空ひばり、江利チエミとともに三人娘と呼ばれるようになった。1954年には紅白歌合戦に初出場。1955年(昭和30年)には三人娘の初共演映画である「ジャンケン娘」(監督:杉江敏男)も公開され、これが当たりに当たった。こうした作品によって、雪村がその人気を不動のものとした頃、日本の経済成長もまた始まったのである。中野好夫が「もはや戦後ではない」と書き、それが経済白書にも引用された1956年。雪村いづみは押しも押されもせぬ大スターだった。

 当時、雪村は20代になったばかり。雪村の母親は多分に山っ気のある人物で、幾つかの事業を一度に始めようと、多額の借金をしてしまったこともあったという。が、雪村は月に500万円近くを稼ぎ出し、借金の返済を続けていく。大卒の初任給が一万三千円余りだった頃のことであるから、これを可能にした人気は驚くべきものであったと言うべきだろう。その後の1960年(昭和35年)の7月から、雪村は1年に及ぶアメリカ巡業へと出発する。当地で「ドルを稼げるはじめての日本人歌手」と呼ばれ、在米中の翌年5月には、ライフ誌(ロバート・キャパによるノルマンディー上陸作戦の取材でも知られる、アメリカの超一流写真雑誌)の表紙を飾るに至った。

■「君も出世ができる」

 帰国後の1964年(昭和39年)、雪村は一本の映画に出演する。これが「君も出世ができる」である。東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開通した高度成長の象徴ともいえるこの年、大卒初任給は二万一千円余りまで上がっていた。

 この「君も出世ができる」は、日本に生まれた数少ない本格的なミュージカル映画のうちの一つである。監督は須川栄三。劇中歌の作詞は谷川俊太郎が、音楽は黛敏郎が担当した。海外からの観光客の誘致に観光会社がしのぎを削る、オリンピック前の東京が舞台で、そうした観光会社の一つにつとめるサラリーマンの出世と恋の鞘当てが話の中心。須川の演出は、カットの連続性よりも映画のテンポを重視したもので、これはこの映画の雰囲気と上手く合致している。

 冒頭に登場するのが、フランキー堺が演じる山川と、高島忠夫が演じる中井。山川は出世のためならどんな苦労も厭わず、そして要領の良いモーレツ・サラリーマンだが、中井はあくまでもマイペース。悠久の大地を夢想し、「タクラマカン〜」などと歌っている(ただし、「タクラマカン」というのは、ウイグル語で「決して生きては戻れぬ」とう意味を持つ言葉なのだけれど)。そこに社長(益田喜頓)の令嬢がアメリカより帰国する。令嬢を演じるのが雪村いづみで、これは雪村がアメリカで1年近い巡業を行ってきたがゆえのキャスティングだということが推定されよう。

 雪村演じる令嬢は、在米中に合理主義の洗礼を受けたようで、これを社内にも徹底させようとする。「アメリカでは、仕事は仕事、遊びは遊び」「アメリカでは、社用族の接待戦術はありません」と、合理主義の素晴らしさを、本当に歯切れ良くまくし立てるのだ。そうした中で、旧来的なオフィスは模様替えされ、地味な事務服を着ていた女子社員は色とりどりのブラウスへと衣替えする。このシーンで唄われる「アメリカでは」は、この映画の劇中歌の中でも出色の一品で、2001年にはピチカート・ファイブによってカバーされた。だが、単に合理主義を礼賛するだけではない。マイペースな高島忠夫は懐疑的な視点からセリフを挟み込むし、谷川俊太郎の詩にも、絶妙な按配で合理主義(そしてアメリカへの)へ皮肉が混ぜられている。

 音楽の黛敏郎は、この連載の第4回で少し触れた「涅槃交響曲」の作曲者であり、一般的には現代音楽の作曲家として知られている。しかしながら、黛には戦後間もないころにビッグバンド:ブルー・コーツのピアニストを務めた経歴すらあり、ジャズを含めたポピュラー音楽にも造詣が深かった。というより、目新しいものをみるととにかく飛びつかずにおれず、それをフランス音楽の流れにある自身の音楽的教養によって即座に噛み砕いてしまうところにこの人の真価はあった。それゆえ、現代音楽の重鎮というような重苦しいものではなく、ポピュラー音楽の最前線に立つ売れっ子作曲家の方が、彼には相応しい立ち位置ではなかったかと筆者は考えている。そうした、黛の資質が十全に発揮されているがゆえに、この映画の音楽は60年代以降の黛作品中でも屈指の作品といえるのである。

 さて、この「君も出世ができる」の頃から、雪村はその活動の軸足をミュージカルへと移し始め、1954年より(一年間のアメリカ巡業期間を除いて)続いていた雪村のフィルモグラフィーは、ここで一旦途絶えることになる。しかしながら、歌手としての活動は盛んに継続され、1970年には第一回東京国際歌謡音楽祭で最優秀歌唱賞を受賞、1972年には日本ポピュラー大賞、世界ポピュラー賞を受賞する。雪村の歌手としての活躍は、本稿の参考文献でもある大下英治の「雪村いづみ物語」(平凡社新書)を参照頂きたい。

 しかし、1973年のオイルショックで高度成長は終わり、80年代〜90年代初頭のバブルもまた弾けて久しい。そんな今だからこそ、私たちは「君は出世ができる」を再見し、雪村の声を聞き返してみるべきなのかも知れない。それは単に、過ぎた時代を懐かしむのではなく、時代を切り開く声/時代を象徴する声というものの力を、再認識することでもあるのだ。

参考文献 大下英治 「雪村いづみ物語」 (平凡社新書)


石塚潤一 (いしづか・じゅんいち)
 1969年、東京都出身。
 東京都立大学大学院理学研究科修士課程修了。
 「松平頼則がのこしたもの」他の批評によって、
 2002年度「柴田南雄音楽評論賞」奨励賞を受賞。
 以後、読売新聞、ミュージック・マガジンなどに寄稿。
 2008年からはコンサートの制作も行う。
 家業である御嶽神社の宮司でもある。

【音楽評論 掲載記事一覧 】
■時計の針音は何拍子か?
 ストラヴィンスキーの晩年作品を聴く
本文を読む
■ほとんど何もない
 リュク・フェラーリの音楽
本文を読む
■ジョン・ケージは賭ける
 「4分33秒」から偶然性へ
本文を読む
■高度成長の女
 雪村いづみとその時代
本文を読む
■古の自動演奏機械がポリリズムで踊る
 コンロン・ナンカロウの仕事
本文を読む
■切り捨てられた地方で文化を守る
 宮崎県諸塚村戸下神楽のこと
本文を読む
■映像/ナレーション/音楽、そしてイメージ
 ビデオデッキが無かったあの頃
本文を読む
■チューバとともに
 低音が作るオーケストラの魅力
本文を読む
■特別養護老人ホームの即興音楽家たち
 音楽家:野村誠の試み
本文を読む
■松平頼則を聴いてみませんか? 本文を読む
■叔父のことを書く
 桜の季節とともに想い出す
 私が音楽と出会った頃
本文を読む
■雨音の上のドラマ
 山中貞雄の「人情紙風船」を《聴く》
本文を読む
■カールハインツ・シュットクハウゼンへの哀悼(後編) 本文を読む
■カールハインツ・シュットクハウゼンへの哀悼(前編) 本文を読む
■映画にとっての音の話 本文を読む
■部分と全体 本文を読む
エグベルト・ジスモンチの倫理 本文を読む
川島雄三作品と音楽 本文を読む
22分間の奇跡
 アストル・ピアソラが目指したもの
本文を読む
古楽演奏と
 少年モーツァルトの素顔と
本文を読む
青く輝くサファイアのような海に
 寄せては返すチェロの波
 海軍服のリムスキー=コルサコフ
本文を読む
 


トップページ会社紹介著作権についてお問い合せ
Copyright (c) Flying Garden Rights Reserved.