【趣の庭】音楽日記・欅の木漏れ日
2008.10.27 
  古の自動演奏機械が
  ポリリズムで踊る
  コンロン・ナンカロウの仕事

石塚 潤一   
■繰り返すポリリズム

 最近、テレビなどで「ポリリズム」という言葉を最近聞くことが多い。このポリリズム、元はかなり専門的な音楽用語で、複数の拍子(例えば、4分の3拍子と8分の6拍子)が同時進行したり、1拍を4つにわけるリズムと3つにわけるリズムが併置されたりする状態のことをいう。独立のリズムがある点で噛み合いながらも、齟齬を孕みつつ進行する様がポリリズムの醍醐味だ。

 誰もが思いつく例が、ショパンの「幻想即興曲」だろう。左手が1拍を3つに分割するアルペッジョ(分散和音)を奏しているところに、右手が1拍を4つに分割するメロディで滑り込んでくる。クラシック以外の、アフリカの民俗打楽器音楽や、ジャズ(とりわけマイルス・デイヴィスのようなモダン・ジャズ)にも、いくらでも例を見出せるのだが、このあたりについては改めてご紹介することもあるかと思うので、今回深入りするのはやめておこう。

 そうしたポリリズムという言葉が一般に知れ渡ったのは、言うまでもなく同名の楽曲を歌うPerfume(パフューム)という3人組のユニットが、ここ最近テレビのCM等で彼女らの声を聴かない日はないほどに売れているからに他ならない。しかしながら、当欄においてPerfumeの楽曲を分析したり、ご紹介したりする当面の予定は、ない(リクエストがあればいくらでもやりますが)。今回は、ポリリズムという言葉が市民権をもったことを幸いに、これの探求に一生を捧げた作曲家:コンロン・ナンカロウをご紹介しようかと思う。

 コンロン・ナンカロウは1912年、アメリカのアーカンソー州テクサーカナ市に生まれた。父親は、後にこの市の市長になる土地の名士。16歳で地元の大学に進学する早熟な若者が熱中したのは、まずはジャズであった。ナンカロウはヨーロッパに旅行をした際には、道中でトランペットを吹き、旅費を稼いだこともあったという。そして、音楽への情熱が高まる中、シンシナティの音楽院へ進学、ここで衝撃的な出会いを果たした楽曲がストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」であった。

写真1
コンロン・ナンカロウ

■リズムの探求を!

 ストラヴィンスキーといえば、20世紀の前半の音楽界において、リズムに関する並ぶもののない探求を行った作曲家として、誰もがその名を知る存在である。ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」の冒頭では、4分の2拍子と8分の7拍子が同時進行する箇所がある。これなど、クラシック音楽の中で最も鮮やかにポリリズムを使った例の一つといえるだろう。4分の2拍子で進んできた音楽の中に、突如8分の7拍子のフレーズが載せられることで、音楽が一気に多層化され、一種の訛りのようなものがもたらされる。「春の祭典」は、こうしたストラヴィンスキーの指向をさらに推し進めた、全曲が精緻かつ躍動感に溢れるリズムの饗宴たる音楽。これに衝撃を受けたがゆえにナンカロウの人生は決まった。

 リズムの探求を主テーマとして作曲を続けていたナンカロウはさらにボストンの音楽院に通い、音楽面での研鑽を続け、同時に−理想主義のブルジョワの若者によくあるように−共産主義に傾斜することになった。さらには義勇軍に入ってスペイン市民戦争へと参戦する。数年後、アメリカに帰国するわけだが、南部の小都市であるテクサーカナには左翼の若者の居場所などあるはずもない。ニューヨークに活動の拠点を移して当地の音楽家との親交を深めたが、第二次世界大戦を迎えたアメリカでは、共産主義者に対する弾圧は次第に厳しくなり、ナンカロウはさらにメキシコへと移住することを迫られる。

 メキシコでも作曲家として創作を続けていたナンカロウであったが、ここで彼は一転窮地に陥ることになる。というのも、当時のメキシコの音楽家にはナンカロウの作品はあまりにも難しく、彼のリズムへの探求が満足のいく水準で音になることがなかったのだ。頭の中にある音楽的アイディアと、散々な演奏のギャップ。これがいかにナンカロウを苦しめたかは想像に難く無い。ナンカロウは、今日の優れた演奏家の手にすら余るような、技術的に極めて難かしい作品を書いていたのである。

 相次ぐ初演の失敗に失意の生活を送るナンカロウを救ったのは、テクサーカナの父親が残した遺産だった。ナンカロウがニューヨークで付き合っていた作曲家:ヘンリー・カウエルの著書「新音楽の源泉」には、人の手に余る複雑な作品を自動演奏機械で演奏するアイディアが記載されていた。これがナンカロウにとっての天啓となり、彼はプレイヤー・ピアノという自動演奏機械に、自分の創作の行く末を賭けることを決意するのである。

■プレイヤー・ピアノの世界

 自動演奏機械の歴史は、レコードの歴史よりも長い。自動演奏機械というといかめしく聴こえるが、たとえばオルゴールを思い出せば、人の手を使わず音楽を奏する機械というものが随分昔よりあったことが理解できるだろう。19世紀にはピアノやヴァイオリンの自動演奏機械が生まれていたし、レコードやラジオが普及する以前のアメリカの上流家庭にて、今で言う音楽鑑賞の用をなしていたのが、上で触れたプレイヤー・ピアノという自動演奏機械である。

 プレイヤー・ピアノの形は通常のピアノとほぼ同じであるが、ピアニストの演奏を記録する機械が付随している。といっても、この機構を担うのは「紙」である。ピアニストの演奏によるキーアクションに呼応して、ピアノロール呼ばれる記録用紙が一定の速度で送られつつ穿孔され、この孔の空き方によって演奏を記録するのである。レコード以前の演奏家によるピアノロールも現存しており、これによって、例えばグスタフ・マーラーのようなレコード以前の作曲家やピアニストの演奏を私たちは聴くことが出来る(実際、再生環境を整えれば、驚くほどの精度で再生を行え、これの愛好家が多いことも頷ける)。

 記録済みのロールをセットすれば、空気を利用したシステムが穴の位置を読み取り、鍵盤を自動的に動かし演奏を再生することも出来る。さて、通常、ピアノの鍵盤を弾くことでロールを穿孔するプレイヤー・ピアノであるが、ナンカロウは、ロール自体を直接穿孔し、これをプレイヤー・ピアノで再生することで音楽を奏でようと考えた。これならば人間の指が10本しかない、という限界を気にしなくてもよいし、人間技を越えたフレーズを演奏させることも出来る。さらに重要なことは、人間が演奏するとどうしても曖昧になってしまうリズム、たとえば、4拍を均等に7つに分けるようなものでも、ロールを幾何的に分割することで演奏させることが出来るのである。

 1940年代の終わりくらいからナンカロウはプレイヤー・ピアノのための「習作」という連作を書き始める。その内容といえば、1950年代初頭の時点で既に15年後のフリージャズを予見しているかのような驚くべきものだった(これを聴かせたあるジャズ批評家は、楽曲の制作年代を15年後だと誤解した)。若い頃にジャズ・トランペッターとして活動した経験と、ストラヴィンスキーのリズムの試みをさらに推し進めた複雑で生気あるリズムが幸福に結びつき、メキシコシティのプレイヤー・ピアノは未だ誰も踊ったことのないダンスを踊った。

■繰り返すポリリズム

 ナンカロウはコツコツと作曲を続けた。当初は、同じ旋律が5:6:7の音価でカノンを奏するような、人の手でもどうにか演奏出来ないこともない(といっても相当に難しい)、といった風情の音楽を書いていたが、そのポリリズムの探求は時代を進む毎に複雑になり、無理数比のカノンなど、どうしたって人力では演奏出来ない世界へとなだれ込んでいった。しかしながら、机上での発想をプレイヤー・ピアノで検証しつつ続けられるナンカロウの創作は、決して晦渋なものになることはなかった。その点については、どれだけ強調してもし過ぎることがない。

 しかしながら、こうした輝かしい成果にも関わらず、ナンカロウの作品は1970年代に一部がレコードになった程度で、驚くべきことに、殆ど誰にも知られないまま放置されていた。マイルス・デイヴィスやフランク・ザッパといった同時代のポリリズムの担い手はおろか、クラシック/現代音楽の作曲家たちすら、メキシコでかくも恐るべき音楽が生まれていることを知らなかったのだ。

 転機は偶然にやってきた。1980年の5月、パリのレコード屋で一人の作曲家がナンカロウのレコードを求めた。ちょっとした好奇心から無名の作曲家のレコードを求めたこの作曲家は、帰宅後にレコード盤に針を落とし驚愕する。「これはアイヴズ、ヴェーベルンに次ぐ音楽史上の発見である」。彼は後にそう記すことになるだろう。この作曲家こそが、ジェルジ・リゲティであった。

 リゲティは、その作品がスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」のモノリスのテーマとして使用されるなど、同じ現代音楽の作曲家でもナンカロウとは比べ物にならない有名人であった。彼に「発見」されたことにより、このメキシコの作曲家は瞬く間に世界中の作曲家の知るところとなる。楽譜が一流出版社から出版され、卓越した技術を持つ演奏家が世界中からナンカロウのもとを訪れた。かつての演奏が無残に失敗し続けていた初期の作品も、水準以上の演奏で再演するようになり、それ故に、80年代のナンカロウは再びプレイヤー・ピアノ以外の人が演奏する作品を再び書き始めることになる。

 その後も、ナンカロウはリズムの探求を史上誰もがなし得なかったレベルで続け、1997年にメキシコシティで没した。ここ数年、ナンカロウの作品を、プレイヤー・ピアノ・システムを搭載したベーゼンドルファーのグランドピアノで再生したCDがリリースされ、この作曲家の業績をさらに美しい音質で聴くことが可能になった。というのも、従来リリースされていたCDでは、通常ナンカロウが使用していた楽器ではないサブの楽器を使って録音セッションが行われていたため、音色が金属的かつ貧弱になり過ぎていたというのである。確かに、新録音版で聴くと、音色がより豊かになったことにより、あたかも音の数が格段に増えたかのような印象すら受ける。

 それにしても、ポリリズムの探求に当たって、ナンカロウがプレイヤー・ピアノに巡り合った幸運を改めて思う。このピアノより少々固めの音色を持つ楽器だからこそ、相互に噛み合う声部それぞれの輪郭が強調され、決して全体の中に埋没せずに私たちの耳に届けられるのだ。そして、骨董品のようなプレイヤー・ピアノを縦横無尽に使用したナンカロウの仕事は、そのジャズの香りも相まって、どこか懐かしく、どこまでも過激に私たちを揺さぶる。今、ジャンルを越えて聴かれるべき現代音楽というものを挙げるならば、ナンカロウの作品こそがそれである、と、筆者は自信を持って断言しよう。


石塚潤一 (いしづか・じゅんいち)
 1969年、東京都出身。
 東京都立大学大学院理学研究科修士課程修了。
 「松平頼則がのこしたもの」他の批評によって、
 2002年度「柴田南雄音楽評論賞」奨励賞を受賞。
 以後、読売新聞、ミュージック・マガジンなどに寄稿。
 2008年からはコンサートの制作も行う。
 家業である御嶽神社の宮司でもある。

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