【趣の庭】音楽日記・欅の木漏れ日
2008.9.8 
  切り捨てられた地方で
  文化を守る
  宮崎県諸塚村戸下神楽のこと

石塚 潤一   
写真1
諸塚村:紅葉のモザイク林

■神職になるためのいくつかの方法

 「神主をされているそうですが、何故、神主さんが音楽評論を?」。本稿末尾にあるようなプロフィールを世間に晒しているためか、こういう質問を受けることが、たまにある。複雑な事情が入り混じっていて、正直、一言で説明できる話ではなく、そういう場合は大抵お茶を濁してしまうのだけど、すると、次には大抵「神主というのはどうやってなるものなんですか」という質問を受けることになる。確かに、変わった職業につく人にはまず聞いてみたい質問であろう。

 ただ、こちらの質問には比較的簡単に答えることが出来て、「ああ、もし、どうしても神職になりたい方がいらっしゃるならば、日本にある神道系の大学:國學院か皇學館の神道学科へ通えば良いのです。4年制ですが、さらに2年間の研究科(大学院)に通う方もいます。明治神宮のような大きなお宮は、この2校に求人票を出しますので、成績が優秀なら、普通の大学生が一般企業に就職するような感覚で就職できるでしょう。一方、私のように他に専門を持ち、こうした大学へ進まなかった者は、4年制の大学に入りなおすことは無理なので、夏休みや春休みの期間を利用した講習などで修行をするわけです」と説明すると大抵は納得していただける。

 で、私が講習に通ったのは、理系の大学院に通っている最中に先代宮司であった父親が急死したからだったのだが、この講習に参加してみて驚いた。本当にいろいろな人がいたからだ。東大の大学院でヘーゲルを研究している女の子、音大を卒業してクラシックの歌手として活動している女性、元教師というが現在は地元の放送局で仕事をしているという謎の人物、そして、小さな村の村長に選任されたのを機に、放置された村の神社をどうにかしようと神主の資格をとることにした60代の男性。よく、こんなにバラバラな人材が集まるものだと感心したが、それぞれ神社の家に生まれたり嫁いだり、何とかして地元の神社を守らなくてはならない、という切迫した事情を持つことだけは共通していた。

 全国の神社を統轄する神社本庁の包括下にある神社だけで、全国には8万社を超える神社があるという、しかしながら、宮司の数は1万人を越える程度。結果、多くの神社は他の神社の宮司が兼務する形で守られていて、さらには無人で放置されている神社も多いのが現状である。村長に就任すると同時に、村の鎮守の祭主となるために夏の國學院大學で3回りも年下の受講生とともに修行を行う人が出てくるのは、そうした事情ゆえのことなのだ。村長としての責任感が、村という共同体の、そして文化の中核である神社を放置しておかないのだろう。大社ならざる地方の神社には、こうした努力によって守られている神社がいくらでも存在することを、せめて記憶の隅にでも留めておいて頂ければ、と思う。

 講習は夏休みや春休みといった時期に行われる程度だから、僧侶の修行に比べればかなり短い。しかしながら、これは講習では本当の基礎を教えるのみで、残りは地元の神社で研鑽してもらいたい、ということを意味している。実際、一口に神社とはいっても、それぞれに独自の形成・発展の歴史を持ち、それゆえ作法一つとっても様々で、全国津々浦々から集った人達を一括して教えられることは限られているのが実状。ゆえに、講習を終えて最低限の知識、作法を身につけた受講生には、奉仕する地元の神社独自の作法を身につけ、その歴史と文化に向き合っていくことになる。

写真1
戸下神楽

■山深い宮崎の奥地から

 さて、ここより話は本題に入る。祭祀の作法が神社によって違うならば、神楽もまた地域によって全く異なってくるのは言うまでもない。アリオン音楽財団が毎年7月に開催している<東京の夏>音楽祭にて、今年は宮崎県の戸下神楽の公演が行われた。会場は青山の草月ホール。<東京の夏>音楽祭では、高知のいざなぎ流の神事、伊豆諸島青ヶ島の祭礼といった、日本各地の通常目にすることのない祭礼を、草月ホールに招いての公演を行ってきた。家業柄、神楽や祭礼に「公演」といった用語を使うのは適当ではないと考えるが、このことについては本稿では措くとして話を先に進めよう。

 戸下、この集落が存在する宮崎県東臼杵郡諸塚村は、天孫降臨の地:高千穂から南へ30キロメートルほどのところにある。とはいっても、高千穂から奥深い山々に囲まれている諸塚村へ向かうには、曲がりくねった国道を延々と進まなくてはならない。最寄りの鉄道駅は、日豊本線の日向市駅のようだが、ここからも車で50分ほど山道を上らなくてはならないようだ。集落は、村の中心部から国道沿いに3キロほど行ったところにあるのだが、国道から標高差にして100メートルほども高いところになる。こうした環境での生活は決して楽ではないはずで、世帯数はわずか9世帯という。それでも、集落の住人は人数が限られている中、保存会を作り、仕事の合間の稽古によって戸下の神楽を現在に伝えてきた。

 戸下での神楽は、1月の最終土曜日から日曜日にかけて、夜を徹して行われる。ゆえに、これを利用時間に制限のある草月ホールで上演するのは無理がある。出入り自由で、時にはお神酒も振舞われる中行われる神楽を、飲食禁止の客席で座ってみるというのは、観客にとっても負担となろう。よって、今回は公演時間を6時間に圧縮し、全部で五十番近い演目の中から10年に一度の大神楽でのみあげられる「山守」を含めた十二番が上演された。

■戸下神楽との6時間

 会場に入ると、舞台には、あたかも芝居のセットのように、御神屋(みこうや)と呼ばれる青竹で屋根を葺いた舞殿が設営されており、ステージ奥方向には祭壇も据えられていた。床には畳、広さにして12畳くらいだろうか。壁はないので、1月の現地での上演はさぞや寒かろう。

 冒頭、笠、蓑、杖を身につけた山守が山より降りてきて、神主と問答を行う。村方の調停の甲斐もあって、神主に笠を、村方には「村の所願成就のため」蓑と杖を譲る。これが10年に一度しか上演されない「山守」の内容である。現地での上演では、山守役は上演後も体の震えが止まらず、神がかりとすら言える状態になるというが、この時点では演者の誰もがホールでの公演という不慣れな状況に戸惑っていた様子。だが、それも無理はない。筆者も日常的に行っている祭祀を草月ホールの舞台の上で行うとなれば、決して通常通りに行うことは出来ないだろう。居並ぶ観客に緊張するからではない。こうした神事というものは、場の磁力のようなものに大きく依存しているし、草月ホールのような興行的な場なら尚更、そこが宗教的な場であるかのように振舞うのは難しい。

 幸い、演目が進むに従って、演者は随分と平常心を取り戻してきた様子。後半の神随(かんずい)では、剣をもっての4人の若者が体力と持久力の限界に挑戦するかのような舞を披露し、こうした神楽の引越し公演ではまず見られないような、ホール内での一体感も生まれていた。これには、宮崎の山中と同じとはいかないまでも、なるべく同じような場を舞台の上に呼び込もうとし、6時間という「音楽公演」としてみれば破格ともいえる公演時間の設定した、企画者の英断によるものだろう。

 作曲家の柴田南雄が指摘したように、西欧音楽的な観点から立つならば、神楽は極めて退屈なパフォーマンスかも知れない。何より反復が多いし、全体を通じての調子にもそうメリハリがあるわけではない。だが、その「退屈さ」に耐えられず、2時間程度の公演時間へと全体をカットしてしまうとすれば、ステージは本当に死んでしまうだろう。退屈(と思われた)繰り返しは、立ち会うものの時間間隔を麻痺させ、場に宗教的なものを呼び込む隙間を開いていく。待つことは、特に会場が草月ホールのような神事とは無縁の場所なればこそ、より重要なのである。

 夜通し続いていた神楽が終わりを迎える頃に、岩戸から天照大神が姿をあらわす「岩戸」という演目が用意されている。春日大神役の舞手は、岩戸に隠れた天照大神のお出ましを願い、30分以上も薄明の中静かに舞い続ける。ここでの舞も、繰り返しが多く、悪く言えば単調に続いていくのみ。しかしながら、周囲の風景が次第に白みはじめていくことで、その単調さが異様な存在感で迫ってくる。と、同時に、この単調さが一つの基準線となり、夜明けの風景の中で明らかになる自然の圧倒的な多様性を際立たせているともいえるだろうか。

 もちろん、ステージ上でそのような場が完全に再現されることは望み得ないわけだが、想像してみることは何とか可能だ。あくまでも控えめにだが、ステージを照らすライトも私たちを手助けしてくれる。そして、地平線から太陽が出るその瞬間、天照大神は春日大神に手を引かれて姿を現す。げに見事なクライマックスという他ない。

 こうした神楽をステージの上で上演することについては、様々な葛藤があったに違いない。戸下の神楽は神前にて奉納される芸能というよりも、それ自体が一つの祭祀である。また、上で説明したように、毎年決まった時期に屋外で上演するが故に神々しく見えるであろう演目も含まれている。今回のステージはかなり丁寧に作られていたとはいえ、神楽祭祀としての戸下神楽の神髄を100%伝えられたわけではない。

 だが、そのようなことは、戸下神楽の面々も、制作者たちもとうに承知のことだろう。最終的に神楽保存会の面々に出演を決意させたのは、地方の窮状をより多くの人に知ってもらいたい、という一念だったという。決して楽ではない山の暮らしのなかで、それでも故郷に留まり伝統の神楽を伝えている。そうした姿を東京という世界一の大都市の中心で披露したかったのだ。そもそも、文化の豊かさとは、質とともにその多様性がどれだけ担保されるかによって測られるものなのだ。その点においては、クラシックでも、タンゴでも、ブラジル音楽でも、映画音楽でも、現代音楽でも全く変わることはない。それゆえに、都市が地方を切り捨て、そして文化の多様性の目すら摘み取ろうとしている今日に、戸下神楽が示したことは極めて貴重なのだ。

 私は、批評とはそうした文化の多様性の末端に目を向け、限定的にしか共有されていない魅力を一人でも多くの人達へと啓いていくものだと思っているし、そうした批評を書き続ける心算である。だから、村長として神社を守るべく故郷へと帰った3回り年上の「同級生」の姿とともに、戸下神楽保存会の面々の姿も、この先決して忘れることがないだろう。

【写真出典】
諸塚村ホームページ

石塚潤一 (いしづか・じゅんいち)
 1969年、東京都出身。
 東京都立大学大学院理学研究科修士課程修了。
 「松平頼則がのこしたもの」他の批評によって、
 2002年度「柴田南雄音楽評論賞」奨励賞を受賞。
 以後、読売新聞、ミュージック・マガジンなどに寄稿。
 2008年からはコンサートの制作も行う。
 家業である御嶽神社の宮司でもある。

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