【趣の庭】 音楽日記・欅の木漏れ日
2008.03.03
title10.gif
 
石塚 潤一
text10-01.gif

 山中貞雄のわずか28歳での戦病死は、日本映画史上最大の悲劇のうちの一つに違いない。1909年に生まれた山中は、1932年に「磯の源太 抱寝の長脇差」で監督デビュー、以後足掛け6年に亘って24本の作品を監督する(他に応援監督作品が2本ある)も、1937年の「人情紙風船」完成直後に召集され、翌年、出征先の中国河南省開封にて作戦従事中にかかった急性腸炎で死去した。

 現存する作品は「丹下左膳余話 百万両の壺」(1935)、「河内山宗俊」(1936)、「人情紙風船」(1937)の3本のみ。その3本にしても、「百万両の壺」のクライマックスシーンが、戦後占領下の検閲によってカットされているなど、現在観られるものが公開当時の尺と同一であるとは限らない(ちなみに、このカットされた丹下左膳とヤクザ者たちとの血闘シーンは、音声が欠けた不完全な形ではあるものの、2004年に発見された)。

写真

 それゆえに、現在の私たちには、山中貞雄の作品世界を俯瞰する視座など到底求め得ない。だが、この僅かながら残された作品を観るだけでも、山中の繊細を極めた演出が音響においても遺憾なく発揮されていることが判るだろう。特に「人情紙風船」。この作品世界を形成する音響演出は真に驚くべきものである。

 
text10-02.gif

 遺作となったこの作品はあまりにも寂しい。2人の主人公、髪結いの新三(中村翫右衛門)と浪人の海野(河原崎長十郎)は江戸の貧乏長屋、それも作品冒頭から首吊りがあるような長屋に隣り合わせて住んでいる。首を吊った浪人の通夜を口実にして、大家に酒と肴を供させる長屋の住人たちはしたたかで、その表情は明るい。だがそれは、精一杯の虚勢を張っているかのようなものにも見える。こうした生活の中で、2人の主人公達は自分たちを虫けらのように扱う権力に、意地から一矢報いようとするが・・・というのがこの作品の筋立て。1937年という制作年代を反映した底なしの暗鬱さに覆われた作品であるが、新自由主義的価値観全盛の今こそより一層の共感をもって受け取られるに違いない。

 物語前半では、長屋に生きる個性あふれる人々が、それぞれ見事に活写されていく。ここでの緻密で繊細なカットの積み重ねも驚くべきものであるが、ここでは映画の中での音に注目することにしよう。前半活写される長屋の群像の中から、いつしか2人の主人公の存在感が立ち上がり、さらには、単に隣同士という関係しかなかった2人が、物語後半に至ってある事件を「共謀」することに至る。この流れをスムーズに運ぶ上で、映画の中の音はいかなる役割を担っているのであろうか。

 
text10-03.gif

 この「人情紙風船」では、音楽は映画の巻頭と終幕で申し訳程度に鳴らされるのみ。丹念にカットを重ねることで2人の境遇を余すところなく観客に伝える手腕があるからこそ、音楽に頼らずともここまでの詩情をスクリーンへと焼き付けることが出来るのだろう。さらには、この音に対するストイックな姿勢が、劇中に登場するあらゆる音の雄弁さが際立たせている点が特筆される。特に、2人の共謀のきっかけとなる雨が降り始めてのちの一連の場面。ここでの雨音の効果は、真に絶大なものである。

 縁日の途中から時ならぬ雨が降り始める。じめじめとした、極めて蒸し暑い夜に土の上へと降り注ぐような雨音。その雨音の中で髪結いの新三は大店の一人娘を誘拐し、浪人の海野は仕官の頼りにしていた人物から決定的に拒絶される。だが、場面がそれぞれの主人公へと交互に振れても、雨音はそのことに構うことなく、淡々と音量のみを上げていく。あたかも、この一連の場面の通奏低音として雨音があり、物語はその上に乗っているかのように。

 この雨音の暗鬱さが観客の心に堆積していくように、2人の主人公はそれぞれの悪意を醸成しつづけ、ついには長屋の一室にて決定的な共謀へと至る。雨音の音量の頂点をまさにここへと設定したのは、もちろん意図してのことなのだろう。もしも、この雨音が場面ごとに付け替えられていたならば(カットが変われば、映し出される場所が変わってしまうのだから、本来なら場面ごとに雨音にも変化があるのが「リアル」だ)、この一連の場面を貫く恐るべき緊張感は霧散してしまったに違いない。そして、この一貫した雨音は、2人を待つ共通の運命をも暗示しているのだ。

 雨音一つにこれだけの役割を担わせることが出来るとは、まさに天才の仕事という他ない。これが27歳の青年監督の仕事とは!27歳にしてこのような映画を撮ることが出来た山中が、せめてあと2年、溝口健二が「残菊物語」を、マキノ雅浩が「鴛鴦歌合戦」を撮った1939年まで映画制作に携わっていたとしたら、どれほど日本の映画史に豊かな実をもたらしたことだろう。その山中が没して今年で70年、来年は生誕100年となる。だが、山中が遺した3本の映画は、未だ十分に咀嚼されているとはいえない。

 
 
 
石塚潤一 (いしづか・じゅんいち)
1969年、東京都出身。
東京都立大学大学院理学研究科修士課程修了。
2002年度「柴田南雄音楽評論賞」奨励賞を受賞。御嶽神社の宮司を務める。
 


トップページ会社紹介著作権についてお問い合せ
Copyright (c) Flying Garden Rights Reserved.