【趣の庭】 音楽日記・欅の木漏れ日
2008.02.04
 
石塚 潤一
 
 
 

 この正月、久々に会った友人と話している中で、自分が随分長いこと“とぶゆめ”をみていないことに、全く唐突に気付かされた。夢判断の本を紐解いてみると、“とぶゆめ”をみるということは新境地を求めて飛躍しようという意志の表れなのだとか。そう歳をとっているつもりはないものの、自分の精神が“とぶゆめ”もみられないほどに萎えていることを少々悲しく思った。

 

 さて、話はシュトックハウゼンへと舞い戻る。昨年12月に没したこの作曲家が、自身の優れた作品を遺しただけでなく、現在私たちが耳にする音楽にいかに広範囲な影響を遺したのか、という点については前回簡単にご紹介した通りである。ビートルズ以降のロック、マイルス以降のジャズ、クラフトワークらによるテクノ、デレク・ベイリーらによる即興。密林のごとき現代の音楽シーンを彷徨う人は、シュトックハウゼンからの影響が至る所に花開いていることに気付くだろう。

 シュトックハウゼンが音楽全般に広範な影響を与えるに至ったのは、彼が一生をかけて取り組んだ電子音楽という試みがあったからこそ。だが今日、電子音楽といえば冨田勲やYMO以降のシンセサイザーを使った音楽を想起される方がほとんどだろうから、ここには若干の説明が必要かもしれない。

 20世紀のテクノロジーの発展は、音楽のあり方を根本から変えてしまった。中でも、録音技術が一般化したことと、電子回路を用いて発振させる音(いわゆる電子音)が生まれたことが、現在の私たちの音楽生活を、たとえば19世紀の聴衆といかに異なったものとしているかは計り知れない。このことを検証し始めるならば、即座に本が2冊ばかり書けてしまうだろうから深入りはやめるとしよう。よってここでは、1940年代から50年代にかけて、この2つのテクノロジーが、それぞれに拠った新たな作曲の潮流を生み出したことのみを概観したい。

 

 一つは、この連載の前々回分にて触れたように、録音された環境音を加工して音楽を作ることが可能となり、具体音楽(ミュジック・コンクレート)という音楽が生まれたことが挙げられる。汽車の走行音のような、かつては音楽に使用されなかった具体音。そうした「音」を「音楽」に仕立て上げるような創作が可能になったことを前々回にて言及した。

 もう一つは、電子回路から生まれる音=電子音の組み合わせで音楽が作れるようになったことである。これが電子音楽である。さて、物理学/数学の知見によれば、音というものはどのようなものであれ、フーリエ変換というプロセスにより無数のサイン波(という特別な形の波)の重ね合わせで表現することができる。ゆえに、電子回路を用いてサイン波を発振することが出来れば、逆にそれらを自在に重ねることでどんな音色も合成できるだろう。丁度、地上に存在する100弱の元素から、どのような化合物でも作り出すことが出来るように。

 現在、「電子音楽」という言葉は、より広い意味で使用されているが、1950年代においては、そうした電子回路を用いて発振した音を構成する音楽(さらには、それを素材の中心に据えた音楽)との、より限定的な意味を持っていた。

 

 具体音楽という試みは、シュトックハウゼンにとってはあまりにも感覚的で「作曲上のコンセプトと一貫性を欠いて」いたように思われた。「ピアノ曲10番」(1954/61) でみられるように、一つの構成原理を縦横無尽に駆使して、各瞬間の音の配置からその展開までを決めていく彼の流儀からすれば、それも当然のことだった。ゆえに、彼の興味は必然、電子音楽へと向かうことになる。

 同じオーケストラでもベルリンフィルとパリ管弦楽団の音色が違うように、楽器の音色というものは演奏する人間によって千差万別である。だが、サイン波の合成によって生まれる音を使うならば、微妙に匙加減をかえつつ自分の欲しい音色を、一切の曖昧さもなく得ることが出来、さらにはそれを作曲家が厳格に決めたタイミングで鳴らすことが出来る。ゆえに、音色について、より高い精度へと踏み込んだ創作が可能になるはずだ。

 しかしながら、サイン波による音響合成は当時の技術的な限界もあって、シュトックハウゼンが当初考えていたような創作環境をもたらすことはなかった。それでも彼は、音色に対する持ち前の優れた感覚を武器に、電子音という新しい素材をその技術的制限に苦しみつつも見事に作品へと昇華していくのである。

 また、シュトックハウゼンの創作を特徴付けるキーワードが、空間性/多層性である。三群に分割されたオーケストラによる「グルッペン」(1955-57)、四群に分割されたオーケストラによる「カレ」(1959-60)、といった作品に顕著なように、彼は音楽において音がどこから聴こえてくるか、という点をも厳格に構成しようと試み、それが「少年の歌」(1955-56)や「コンタクテ」(1959-60)といった、初期電子音楽の傑作へと結実することになる。聴衆の周囲から放たれる、作曲者の厳格な思考に基づき多層的に配置された音塊。たとえば、マイルス・デイヴィスが「オン・ザ・コーナー」(1972)の制作において大きく影響されたのは、まさにこうした空間性であり多層性なのだ。

 

 かくも華々しい活躍の数々が、彼を戦後現代音楽のスターへと押し上げた。彼の作品は一流の楽譜出版社から次々に出版され、ドイツを、そしてクラシックを代表するレーベルから続々とレコードが出される。1966年に制作された「シュトックハウゼンの『モメンテ(瞬間)』」というドキュメンタリー映像を観る人は、まず何よりも、時代の寵児としてのオーラを全身に纏う、シュトックハウゼンという個の圧倒的な存在感に打ちのめされるに違いない。ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967)のジャケットに(私たち=ビートルズに影響を与えた人物の一人として)コラージュされた彼の肖像が撮られたのもそのころ(1964年)のことだった。

 しかしながら、1977年になるとシュトックハウゼンは一切の公職から退き、ドイツの片田舎に引き込んで、7日に渡って演奏されるという連作オペラ「光:週の7つの日」(1977-2003)へと没頭することになる。引き込んだというのは正確な言い方ではないかもしれない。だが、大手からの楽譜出版やレコード/CD発売が途絶え、海外から彼の活動についての包括的な情報が入ってくることも稀だった当時、そうした言い方はそれなりのリアリティをもって受け取られもした。

 さらには、「光」というオペラのあまりに破格な内容ゆえに、彼をあたかも誇大妄想にとらわれた神秘主義者のように断ずる者もあった。「光」の一部である「水曜日」に組み込まれた「ヘリコプター弦楽4重奏曲」(1992/93)では、4人の弦楽器奏者が4台のヘリコプターへと分乗し空を飛び回りながら演奏することが求められる。これが地上へと送信され、ヘリコプターのローター音も込みでミックスされ聴衆へと供されるわけだ。確かにこれは常人の発想ではない。しかし、シュトックハウゼンの真に恐るべき資質は、そうした荒唐無稽なコンセプトをも徹底的に噛み砕いた上で、紛れもない彼の作品とした上で実演に漕ぎ着けてしまうところにあり、それはとても誇大妄想狂に可能なわざではない。

 

 2003年、連作オペラ「光」は総演奏時間29時間にも及ぶ巨大な作品として完結した(大掛かりな準備が必要なため、実演ではこれを7日間で演奏するのは不可能で、さらに多くの日数が必要である)。だが、この連作オペラはその巨大さとは裏腹に、全ての素材が僅か3つのフォルメル(数小節ほどの旋律断片)から、彼なりの構成原理にて引き出されたものでもあるのだ。

 このことより、シュトックハウゼンの志向が50年代と全く変わっていないことが見て取れる。ただ、彼は同じことを繰り返すのが嫌なのだ。新しいテクノロジーやコンセプトを暴力的に噛み砕き、それを自身の志向をもって料理する。これは、溝口健二が長まわしに拘りつつも、クラヴィオリンの音色のような新しい素材を常に自作へと取り込んでいたことと重なるではないか。ならば、弦楽4重奏団をヘリコプターに乗せるという奇妙な思いつきも、彼のもう一つの志向、空間性への拘りを新しい表現の段階に乗せるために噛み砕かれたのだと理解できよう。

 また、シュトックハウゼンの作品が大手から楽譜出版/CD発売されなくなったことには理由がある。それは、彼はそうした大手との契約を自ら打ち切り、自身の作品を個人的に出版/CD発売することを始めたがゆえのことだった。大手との契約を続ければ、会社が様々な販売戦略を練ってはくれる。が、それゆえの不自由もまた背負わなくてはならないことが、彼にある決断を促したのではないか?シュトックハウゼンの作品を演奏することは非常に難しい。彼は、それゆえに自作の演奏についての講習会を開き、ポリーニのような超一流ピアニストに対してすら、自分の指導を受けることを希望した。

 事実、自作が聴衆の耳に入る際の質を担保することについて、シュトックハウゼンほどに強い拘りをもっていた作曲家はいなかった。1977年以降、教職・公職より退き全身作曲家ともいえる生活に入った彼が、手間のかかる自費出版を行いはじめたことは奇妙だ。だが、出版社やCDレーベルに自作を委託するならば、時に自身認めがたい演奏が流通することに耐えなくてはならない。この点については私の想像の域を出ないが、彼が自前で出版を始めた理由はそれを避けるためだったのではないか?自身が出版をするならば、少なくとも大きなプロジェクトにおいては、彼の与り知らぬところで行われることはなくなる。ただ、世界的な出版社ともレーベルとも決別し、自費出版をはじめたシュトックハウゼンの姿は、新人同様に原稿を持ち込む手塚治虫にも似た、鬼気迫るものを感じさせずにおかない。


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 私はいわゆる「大家」が嫌いだ。一時期の輝かしい業績を認めるとしても、そうした過去の成功に味をしめ、似たような趣向の作品を繰り返し発表していくような作家が嫌いだ。ただ、生涯にわたって“とぶゆめ”をみて、自らを一所におこうとしない大家には賞賛を惜しむことはない。シュトックハウゼンとは、紛れも無くそうした大家のうちの一人だった。ゆえに、彼の死から「前衛の終焉」のような寓意を読み取って、すぐさま過去へと押し流してしまうようなことがあってはならない。それならむしろ、“とぶゆめ”に憑かれた男がヘリコプターも及ばない天空へとついに放たれたことに思いをはせるべきだろう。だからこれは慶事だ。地上に残された私たちは、この慶事を押し寄せる悲しみに耐えつつ祝福し、自らを照らす光としなくてはならない。

 
石塚潤一 (いしづか・じゅんいち)
1969年、東京都出身。
東京都立大学大学院理学研究科修士課程修了。
2002年度「柴田南雄音楽評論賞」奨励賞を受賞。御嶽神社の宮司を務める。
 


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