【趣の庭】 音楽日記・欅の木漏れ日
2007.09.25
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石塚 潤一
 
 
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 残暑厳しい8月20日。エグベルト・ジスモンチの来日公演があるというので、勝鬨の第一生命ホールまで出かけてきた。ピアノ、ギターを始めとする数種類の楽器を自在に操る、このブラジルの多楽器奏者/作曲家の公演は、日本では実に16年ぶりとなる。ショーロに代表されるブラジルの古いポピュラー音楽に、ジャズ、クラシックから現代音楽までの要素が入り込んだジスモンチの音楽は安易な分類を拒むが、今回は、ソロコンサートという体裁が、彼がいかに深くクラシック音楽の伝統に立脚しているかを明らかにしていたように思う。

 
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 コンサート前半では、ジスモンチのトレードマークでもある10弦、12弦の多弦ギター(通常のギターは6弦である)を弾いての演奏が披露された。弦を直接爪弾くギターという楽器は、指のニュアンスをあまりに直接的に音へと反映させてしまう。だが、それゆえに、優れた耳と指とを併せ持つ奏者ならば、この楽器から「小さなオーケストラ」という比喩にも相応しい響きを引き出すことが出来るだろう。

 その点、ジスモンチはとにかく巧みだ。指のニュアンスはバラエティに富み、単純にコード(和音)をかき鳴らすのとは違う、幾重にも多層化された音楽を奏でていく。この多層的な音楽のあり方は、明らかにクラシックギターの奏法を基本とするものだ。だが、それに加えて、通常より増やされた弦が駆使され、音域・音色両面から楽器の表現が拡張されている点に、ジスモンチのオリジナリティはある。PA(増幅器)を通しての音色までを厳密にコントロールしようというのだから、その音色に対する徹底した姿勢には驚嘆する他ない。

 
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 後半披露されたピアノも同様で、美しい音色で巧みに音楽の流れを多層化していくもの。こうしたピアノ演奏での音色に対する微細なセンスもまた、ポピュラー畑の演奏家というよりは、クラシックの演奏家に近いものだ。確かに、美しくピアノを鳴らすピアニストはジャンルに関わらず数多い、が、当夜のジスモンチのように、右手と左手を同時に使いつつそれぞれから全く違う音色を引き出す、「音色の弾きわけ」が出来るピアニストとなると、クラシック以外のジャンルにはなかなか求め得ない。

 クラシック音楽においては、バッハのフーガのように複数の音楽の流れが幾つも絡み合いつつ進行する、重層的な音楽のあり方に重きが置かれており、演奏家にもそれを十全に表現するための音色/技術が求められている(そうは言っても、クラシック界にも、ジスモンチのような鮮やかさで弾きわけが出来るピアニストは限られているのが実状なのだが)。ジスモンチのピアノには、そうした訓練を幼時から現在に至るまで不断に続けてきた者ならではの響きがある。実際、彼のピアノの技術は相当に高く、ラヴェルの「ピアノ協奏曲」くらいならすぐにでも演奏会にかけられるだろう。

 単に指が廻るだけではない。例えば、転調の際の「まさにここしかない」というタイミングで鍵盤のタッチを変え、フレーズに絶妙な浮遊感を与える作法からは、ジスモンチが音楽、あるいはそれを裏打ちする理論について、いかに深い理解を持っているのかが聴き取れよう。そして、そうした表現の積み重ねこそが、音楽の流れにあたかも作品がその場で生まれているかのような瑞々しさを付与するのである。

 
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 元々、ジスモンチは長きに亘ってクラシック音楽の教育を受けてきた。1947年、リオ・デ・ジャネイロ州のカルモで生まれた彼は、5歳の頃から音楽院に通ってピアノを習い始め、20歳になる頃にはウィーンに音楽留学までしている。さらに後年、アストル・ピアソラの音楽家としての方向性を決定付けたナディア・ブーランジェにも師事し、ジスモンチもまた、その音楽的アイデンティティーを確立するために、故国の音楽へと目を向けるよう示唆されたのだった。

 しかしながら、高度なクラシック音楽の教育を受けることが、他の音楽ジャンルでの成功にそのまま結びつくとは限らない。むしろ、ジスモンチやピアソラを貴重な例外と位置づけるべきであろう。

 
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 ゆえに、特筆されるべきは、ジスモンチがクラシック仕込みの高度な技術をもってブラジルのポピュラー音楽へと参入して行ったことでは、決してない。ジスモンチの演奏/作曲が、大変な技巧に裏打ちされたものであることは確かだ。だが、その一方、技巧は楽曲の音色を多様化にすることに絞って使用され、素材となるブラジルのポピュラー音楽がもつ、表向きの単純さの中に潜む深い魅力を殺さないよう、細心の注意が払われていることにこそ注目しなくてはならない。この注意を何と表現すべきか迷うところだが、私はこれを音楽に対する倫理と考えるのが一番相応しいように思う。

 あり余るほどの技術や知識をもちつつ、それに溺れずにいることは難しい。高い技術を持つものは、とかくそれを顕示しようと欲するものであるし、技術を持つがゆえに己の尺度に対象を引き寄せて理解してしまいがちである。それゆえ、高度なクラシックの作曲/演奏技術を持つものが、一見単純なポピュラー音楽を料理するときには、素材にそぐわない複雑な味付けを施してしまったり、あるいは逆に、見かけの単純さを誤解した気の抜けた一品を出してしまったり、ということがしばしば起こる。

 ゆえに私は、ジスモンチがあれほどに高い技術を持ちながら、素材の魅力を尊重しつつ、一見隙間の多い、その実豊かな楽曲を意図して世に送り出していることの貴重さを痛感する。そして、あの8月のコンサートで、彼の演奏に抜けるような開放感をもたらした、彼の倫理こそを賞賛しようと思う。

 
石塚潤一 (いしづか・じゅんいち)
1969年、東京都出身。
東京都立大学大学院理学研究科修士課程修了。
2002年度「柴田南雄音楽評論賞」奨励賞を受賞。御嶽神社の宮司を務める。
 


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