【趣の庭】 音楽日記・欅の木漏れ日
2007.08.20
Vol.2古楽演奏と少年モーツアルトの素顔と
 
石塚 潤一
 
 
 
 
 

 6月から7月にかけて、国立近代美術館フィルムセンターで川島雄三の特集上映があったため、この監督に私淑する筆者としては当然見逃すことが出来ず、連日のように京橋まで通うこととなった。1918年に生まれた川島は、1944年の監督デビューから1963年のその死に至る約20年の間に、実に51本もの作品を世に送り出しているが、若き日より筋萎縮症という病に悩まされたその創作人生は、常にどこかで死の影に強迫されるものでもあった。川島の作品に通奏低音のように存在するシニカルな眼差しは、その死の影ゆえのものと指摘する向きもある。

 一般に川島の最高傑作は「幕末太陽傳」とされているが、それ以外にも観るべき傑作は数多い。「愛のお荷物」「洲崎パラダイス 赤信号」「貸間あり」「喜劇 とんかつ一代」等、数々の作品が思い起こされるが、三十を間近に控えた若尾文子が濃厚なエロティシズムを発散する「女は二度生まれる」「雁の寺」「しとやかな獣」の三作品もまた、川島の特異な眼差しが三者三様の語り口を伴って結実した、ある意味「幕末太陽傳」以上に重要な作品群と言えるだろう。

 今回は、この若尾主演の三本の中から特に「雁の寺」を選んでご紹介させて頂こう。この映画は、水上勉の直木賞受賞作を原作とし、戦前の京都の禅寺を舞台に住職(三島雅夫)とその愛人(若尾)、寺の小坊主(高見国一)の歪んだ人間関係を描写していく。若尾を愛人として手に入れた住職は、庫裏にダブルベッドを運び込んだりもし、そうした軽妙な演出がいかにも川島的と評されたりもするのだが、この映画での演出の真髄はむしろ、画面の構成の妙にあると考えるべきである。

 

 作品前半、村井博によるカメラは極めて端正な画作りを指向する。鉛直に立つ柱や樹木は常に画面上でも鉛直に走るように収められ、歪みは極力排除される。その結果、これらによって分割される構図は、極めて強固な安定感を持つものとなり、川島自身が、この映画において画面を絵画的に構成する演出術に開眼させられた、と述懐していることも頷けよう。

 しかしながら、ある劇中の出来事を契機として、若尾の心理状態が切迫してくると同時に、画作りのあり方はすっかりと転換されてしまう。端正な構図に歪みが生じ、鉛直の柱が画面を斜めに横切るようなカットが矢継ぎ早に繰り出され、観るものの平衡感覚は完全に狂わされることになる。ここでの端正な前半部との対比が、観客の心情を若尾の恐慌へと同化させてしまうわけで、げに恐るべき演出力と言う他ない。しかも、それでいて、この一つ一つのカットが極めてスタイリッシュに作りこまれているのだ。

 

 それに加えて、この場面での池野成(1931-2004)の音楽である。トロンボーンを中心とした低音金管楽器が、梵鐘の音を模した音形を強迫的に叩きこんでくる。この音楽が、池野の同門の先輩である作曲家:黛敏郎(1929-1997)の代表作:「涅槃交響曲」(1958)を参考に作曲されていることは、両者を知る者には明らかである。「涅槃交響曲」は、複雑に変化する梵鐘の音を音響解析機で調べ尽くし、それをオーケストラの楽器で再現することを試みた、当時の現代音楽における記念碑的作品であった。こうした作曲における音響解析機の積極的な利用は、オーケストラからかつてない、それでいて魅力的な音色を引き出す手段として、後にフランス楽壇を中心に広まることになる。

  この梵鐘の音を模した響きは、映画のテーマ音楽として巻頭のタイトルバックでも使用されている他、作品中の至るところで顔を出す。もちろん、この作品が禅寺を舞台にしていることもその理由のうちの一つであるが、この映画を最後まで観るならば、より本質的な意味が明らかになるだろう。この映画には、水上の原作にはない極めて破天荒なエンディング(ここでは音楽も打って変わってジャズ調となる)が付随しているが、これを蛇足ではなく映画の終結部として機能させているのがこの音楽なのである。

 この終結部を機能させるために、川島は二重の仕掛けを用意している。一つは、最後の最後で画面内の人物がタイトルコールを行うこと。そしてもう一つは、タイトルコールの後、画面が突如転換して「完」のテロップが出るその瞬間、タイトルバックで流されていた「梵鐘の音」が瞬間的に回帰することである。

  一瞬の回帰によって、聴くものにそれと認識されなくては、この試みは失敗に終わってしまうだろう。よって、通常のメロディを持つ映画音楽ではなく、瞬間的な認識が可能な個性的な「音色そのものの音楽」が必要なのである。この一瞬の演出に垣間見える、最新の音楽手法の本質を見抜き、かくも見事に作品へと応用するセンスは、筆者を戦慄すらさせる程に鋭利なものだ。そしてここには、音楽を映画のムード作りに消費するだけでなく映画の文法そのものといかに関わらせるかという、映画における音楽の立ち位置についての根源的な問題提起をも内包されているのである。

 
石塚潤一 (いしづか・じゅんいち)
1969年、東京都出身。
東京都立大学大学院理学研究科修士課程修了。
2002年度「柴田南雄音楽評論賞」奨励賞を受賞。御嶽神社の宮司を務める。
 


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