【趣の庭】古書道楽「珍・本・版」
2008.08.25  
漫画家によって描かれた
戦前・戦後の東京を
蔵出し

坂崎 重盛  
写真

 八月十五日は金曜日、町はお盆休みで、ひっそりしている。ところが、わが仕事場周辺は、なにやら尋常ならざる雰囲気。
 ヘリコプター数機が頭上を旋回する飛行音が。(これは「地獄の黙示録」か?)と思えば、街宣車が最大ボリュームで演説やら音楽を流しながら通ってゆく。
 仕事場は九段下にほど近くある。つまり靖国神社も近い。そう、そして八月十五日。
 そうか、今回の「珍・本・版」は久しぶりに「版」ではなく「本」を取り上げてみよう、という気になった。それも「戦後」に因む本を。
 古書展をのぞくときに(これは買っておこう、読んでも読まなくても)というテーマの一つに「漫画家や画家によって描かれた戦前、戦後の東京」がある。
 今回は、その中から何冊かを“蔵出し”してみよう。初めてのお披露目となる。
 東京の町や風俗を描いた作品として、まず思い出されるのは、滝田ゆうである。玉の井で育った“キヨシ”が主人公の『寺島町綺譚』が代表作。本棚には『昭和夢草紙』、他に『下駄の向くまま──新東京百景』などの背表紙が見える。
 さらに一時代前は、宮尾しげをの『下夕町風物誌』。ハードカバーで4500円という定価。
 軍艦、軍用機を描いた人気画家、小松崎茂は、実はよく東京の町を描いた風俗画家でもあったが、その小松崎茂による『懐かしの銀座・浅草』がある。文は異端の作家・平野威馬雄、平野レミのお父さんである。
 東京、戦後の女性の風俗描かせたらこの人──となれば、一人は小野佐世男、もう一人は杉浦幸雄。両雄とも、女性の肢態を的確、しかも官能的に捕え、描く。
 東京スケッチ、となると小針美男『東京文学画帖』や酒井不二雄の『東京スケッチ散歩』をはずすわけにはいかない。
いや、それ以前に戦後すぐの野田宇太郎の『新東京文学散歩』に添えられた織田一磨の見事な仕事が思い出される。因みに、当時、織田は、「文学散歩」のドンとなる、野田宇太郎よりも、はるかに“散歩力”があったようだ。
と、まあ「東京を描く」本に関してはあれやこれや挙げていけばキリもないが、今回はとりあえず、この三冊。

・六浦光雄著『六浦光雄作品集』(昭和48年・朝日新聞社刊)
・・冨田英三著『新東京百景』(昭和50年・スポーツ日本新聞社出版局刊。)
・遠藤健郎著『白描戯画』(昭和31年・自費出版)。

 まず『六浦光雄作品集』。
 四六判・フランス装・函入り。“画集”といってもいい豪華・品格のある造本。
 巻末の年譜と「あとがきにかえて」の六浦成子さん(夫人)によると、この本は六浦光雄の死後四年後に刊行された集大成本といえる。


 函の表紙は「ガードのモーテル」と題された作品。ガード下を宿とする「バタヤさん」と大八改造車、そして紙の舟を水たまりに浮かべて一人遊ぶ子。その先には寄り添い、いずこへ消えてゆくのか男女の姿。戦後のガード下の一景。



 函の裏表紙は一転、ストリップ劇場の一場面。迫真の演技の迫真の描写。すごい! 六浦光雄。



 「ギンザうら通り」と題する作品。ゴミ箱をあさる人物と野良犬。世帯疲れした風の女性とクラブの女性。その女性の一人にだけ赤色が施されている。この、「わずかな赤」も六浦光雄の画風の特色。



 「お茶ノ水駅」。まだ敗戦後の廃都から立ち直っていないお茶の水駅のホームや聖橋、ニコライ堂の屋根の一部が見える。



 「下谷」。のれんに「鍵屋」とある。えっ、鴬谷にある居酒屋の有名店、あの「鍵屋」? そう、あの「鍵屋」である。ただし、この絵は、前の「鍵屋」。現在も、雰囲気は変わらないが、前の建物は小金井の「江戸東京たてもの園」に移築されている。
 六浦光雄の描写、細く堅い線で細部までたんねんに描く。エッチングか木口木版のような線で「戦後」が細密に記録されている。
 『六浦光雄作品集』、愛蔵の一冊。


 つぎは冨田英三『新東京百景』。この冨田英三という漫画家、60年代から70年代初頭のフーテンやビート族、いわゆるアングラ風俗にくわしい“特殊画家”としてマスコミに露出していた。


 とくに、ゲイの世界の水先案内人なら冨田英三という“評価”があった。
 作品は漫画家、というよりは画家の戯画に近い作風。当時の風俗を記録した文章も彼独特の文体がある。


「〈新宿〉旧旭町界隈」。
 この風景も、しばらく前に消え失せた。
 新宿南口から東口へ降りてゆく一角。巾の狭いガタガタの階段やバラックのような飲み屋や食堂。ずっと戦後が残留していたコーナーだったが、ここが「旭町」と呼ばれていたことをこの本で知った。


「〈新宿〉ゴールデン街」。
 おや、これは一見、今日とほとんど変わらない。もちろん、中味はすでに代替りしている。描かれた昭和50年代から、例の地上げがあり、バブルの崩壊があり、そして今日、古い器に新しい世代によるゴールデン街が生れつつある。シブトイぞ、頼もしいぞ、もと青線地域。


「〈湯島〉天神と女坂下」。
 懐かしいなあ、この一角。女坂の階段を下りて現在もある「羽黒洞」に至る路地。しかし、右手に描かれている土蔵は今はない。この斜す向いにはラブホが。しかしこの界隈、今でも私の好きな東京の一つ。居酒屋「シンスケ」や「すいせん」もあるしね。


 さて次が、問題の『白描戯画』だ。著者の遠藤健郎という画家の名は知らない。しかし、この、図録に近い画集を16年前に(見返しにメモがある)入手したとき、どこかで見た絵だし、とにかく描写力がスゴイ!と即買した覚えがある。

 あるとき判明した。かつての『漫画読本』の切り抜きを整理していたら、この遠藤健郎の画文が5ページにわたって掲載されていたのだ。それを切り抜いていた。
 1957年3月と掲載号がメモされている。題して「行列をしていた頃」。
 この出典である『白描戯画』と偶然、出合ったわけである。これだから古本屋めぐりは止められない。
 「漫画読本」でも遠藤健郎に関するテーマは何も触れられていない。この圧倒的な描写力を持つ画家はどんな人物なのだ。他に作品集はあるのか。

 画集の奥付を見る。「著者略歴」とあって
 1.大正三年生ル
 2.昭和十四年 東京美術学校油絵科卒
 3.現在、千葉市教育委員会勤務

 ‥‥‥これだけである。まさに「略歴」。この略歴で、本人の人となり、また世の中との距離の置き方がある程度想像がつく。
 かなり手強わそうな人物だ。
 「あとがき」があるのがうれしい。

 私にとってはこうした題材への興味は、終戦の年の時もそうだったが、突然やってきて急に終ってしまうものらしい。あらかた印象にのこった世相の姿を描いてしまうと、描くのをやめてしまう。持前の横着のせいか、興味が続かないのである。

 なるほど、芸大の油絵科卒か。しかし、教育委員会勤務とは‥‥‥。この画風。人物観察力。そして驚嘆に値する技倆。
 戦後の世襲。風俗を描いた傑作が一冊の薄い画集として残った。その中の三点をここに揚げる。堪能していただきたい。
 遠藤健郎のことをもっと知りたくなる。さて、どうしたらいいか。



「アベック」。
 進駐軍の兵士と思われる外国人と日本の若い女性。窓の外の煙り立つ風景も注目されたし。



「腋毛」。
 「今年は自然のままに生やしておくのが流行である。」−とは、この画家のコメント。



「不死の猿」。
 この絵を見ていると、この画家が昭和初期の風刺画家ゲオルグ・クロッスの影響を受けていることが伺える。


坂崎 重盛 (さかざき・しげもり)
東京生まれ。
造園家を経て、編集者・ライターに転進。
著書に「TOKYO 老舗・古町・お忍び散歩」(朝日文庫)、「秘めごと礼賛」(文春新書)、「超隠居術」(角川春樹事務所)、「蒐集する猿」(ちくま文庫)、「東京本遊覧記」(晶文社)など。
 
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