【趣の庭】古書道楽「珍・本・版」
2008.05.26

今年の藤は
見る前に散り


そろそろ花菖蒲の季節

坂崎 重盛
写真
■なぜ浮世絵に花菖蒲の名所絵が少ないのか

 ゴールデンウィーク前、ボロ部屋の押入れから、江戸錦絵や明治石版の入ったケースを引きずり出し、中から「亀戸天神の藤」が描かれている作品を選び出した。
 もちろん、この連載のためである。
 また、亀戸天神ものぞいてみるかな、と思ってもいたのだが、こちらの都合のいい日は天気が悪かったりして、日はいたずらに過ぎてゆく。
しかも、原稿催促の連絡がないことを、いいことに、なんとなくボーッとしていたら、藤の花も散る季節となってしまった。
せっかく「亀戸天神の藤」の作品を10点ほど用意したのだが、これはまあ、来年のお楽しみとしよう。
 と、なるとリリーフは、このタイミングですと、なんといっても花菖蒲ですね。あるある。花菖蒲の名所絵。明治の石版画。
江戸錦絵にもないかな、とチラッと思ったのですが、たしか広重の名所絵で見たことはあるが、他に記憶がないんです。これが。
 手元の『江戸名所花暦』や『東都歳事記』に当ってみたが、花菖蒲の名所の記載はない。
 なぜか、といえば、園芸種の花菖蒲が市中に出まわるようになったのは、せいぜい江戸末期。その菖蒲の名所が誕生するのは明治期に入ってからだったようです。
 明治35年刊の平出鏗二郎●『東京風俗志』(下の巻)を見てみる。ありました。花菖蒲の名所に関する記述。
 第四節「四季の優賞」の項の「花菖蒲」。ちょっと引用してみよう。


■綾瀬川に隣接する堀切の地が菖蒲の名所に

 花菖蒲 花菖蒲は押切村(南葛飾郡)の菖蒲園(小高園)より優れたるはなし。概ね六月中旬を盛りの頃とす。初め文化の頃、この村の百姓伊左衛門なる者、ここに花菖蒲を培養せしに始まり、次第に奇品を増殖し、今日の盛なるに至り、その種類二百五十余種になるといへり。(以下略)

 なるほど、綾瀬川に隣接するこの地、堀切の菖蒲園が誕生していることがわかる。
 その、“証拠”が、明治石版錦絵に描かれています。見てみよう。

 「美人十二ヶ月」のうち、「堀切の菖蒲」。  明治24年の作品。いわゆる「砂目石版」に淡彩の着色がある。製作者は渡辺忠久。この、明治二十年代前半の渡辺忠久の作品にはレベルが高いものが多い。かなりの技倆を持った画家が描いていたのではないか。
 絵柄は、着物姿の目元すずしき美人。洋傘を差し、数本の菖蒲が握られている。
 背景は花菖蒲と丘の上の四阿。いい感じですね。この石版画。


■技術は進歩したものの“志”は低下する

 次は「砂目石版」とはいえ、かなり着色がほどこされている。先の作品から5年ほど経った明治29年、有山定次郎の製作。この有山定次郎という人も明治石版画界では著名な人(って、この人の名を知る人は世界で100人もいないかもしれないが)。
 絵柄は、こちらも着物姿に洋傘。明治期のお定まりのファッションである。休憩所の建物が沢山建っているところから、当時の菖蒲園の盛況ぶりがうかがえる。

 こちらは、かなり欲張った東京名所絵だ。
 メインは「堀切の菖蒲」とあるが、上に「日本銀行」下に「ニコライ堂」がフレームの中に描かれている。明治期の名所絵の、よくやる“サービス”です。
 この作品、明治38年と刻まれているが、この時期になると、多色刷りの技術は進歩しているが、画家や刷りのレベルは20年代のころより、ぐんと落ちている。オソマツともいえる。
 おもしろいですね。技術はずっと進歩しているのに、その内実の衰弱‥‥これは、明治石版画に限らず、他の文化についても考えさせられることですね。それはさておき次の3点、これはちょっと注意をして見ていただきたい。

■そっくりさんの作品を3点並べてみる

(A)

 「東京名所」のうち「堀切菖蒲」とあり、その左に、小さく「並に梅若塚」と読める。菖蒲園の光景と、右上のカコミが、「梅若塚」という絵柄。菖蒲園の光景は、これはもう定番の園内の洋傘姿と丘の上の休憩の小屋。おや、ステッキ姿の紳士もいる。さて、次の作品。

(B)

 うん、(A)とそっくりの構図? タイトルも、まったく同じ。あれっ、同じ作品じゃないか、と思って、じっと見ると、なるほど、すこしずつ違う。
 こういうことをやるんですよ。明治石版画。とくに、明治も30年代の後半にもなると。
 マンネリというか、投げやりというか。
 では、次は?

(C)

 あ、これは、どう見たって(B)と、まったく同じ。
 では、なぜわざわざ、ここに掲載したかというと、「版のヅレ」なんです。それにしてもこの版ヅレぶりは並じゃない。
 それがおもしろくて、わざわざ、並べて見たわけです。
 こんな調子だから、明治の石版名所絵は、“芸術品”などとは思われず、粗悪な刷り物として、また、安手のお土産として扱われてきたのです。
 しかし、今日に至って、この大衆性が貴重なデータとなる。消えてしまった風景、またその中に登場する当時の人々の姿が描かれているからです。

 では、最後に浮世絵のような明治石版画。「東京十二月之内五月」「堀切菖蒲之景」。
 菖蒲園を背景に、なにかのお菓子でも入っているのでしょうか、箱の上に花菖蒲を添えて。楊州周延描くような美人の姿の左には、季節がらツバメの姿が。

 どうでしょうか、花菖蒲の名所絵。
 もちろん、堀切菖蒲園は、今日も東京名所の一つ。
 その他にも、東京近郊の花菖蒲といえば、水元公園、明治神宮、元浜離宮、小石川後楽園などが浮かぶ。さて、今年はどこへ行こうか。
 いずれが、あやめ、かきつばた。



坂崎 重盛 (さかざき・しげもり)
東京生まれ。
造園家を経て、編集者・ライターに転進。
著書に「TOKYO 老舗・古町・お忍び散歩」(朝日文庫)、「秘めごと礼賛」(文春新書)、「超隠居術」(角川春樹事務所)、「蒐集する猿」(ちくま文庫)、「東京本遊覧記」(晶文社)など。
 
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