古書道楽「珍・本・版」
2007.06.25
明治中期の「少年少女」本当時一流の文人・画工が健筆をふるう
坂崎 重盛
 

 今回も前回に引きつづき、明治中期、20年代から30年代の本を見てみよう。それも、たまたま古書
展で、なんとはなしに入手していた「少年少女」本を開いてみたい。
 私は、児童文化史の研究家ではないし、明治児童物の本のコレクターでもないのだが、明治の“刷りもの”、木版や石版に興味があるので、明治に刷られたものに気がつくと、つい、手がのびる。
 今回紹介する本も、そんな“刷り”の興味から、でき心で買っておいたもの。

 
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明治22年7月創刊の「少國民」。主筆は独学の百科全書派、あの、石井研堂。この号は明治26年12月号
 
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まずは「少國民」という雑誌。明治22年7月に創刊。この号は明治26年12月号。
 表紙を見ていただきたい。「小國民」と大きく雑誌名が白ヌキで。その上、「版権所有」の文字の下に「雑誌界之大王」という文字が見える。「大王」とは大きくでた。愉快ではないか。
 表紙の絵柄は、森の風景をバックに「少國民」を読む二人の少年と、その下は、どこか外国の河と桟橋の風景。その双方とも、扇面の形の中に描かれているのが、なんとも江戸の余韻というところか。
 版は、まず小口木版で彫って刷ったものを石版画におこしたものではないだろうか。(このへんのところは、どなたかご専門の方がいらしたらご教授願いたい)

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「少國民」のカラー口絵。「蝉丸之図」。左脇に小さく「鞆音」の銘が。「少國民」「少年世界」などで筆をふるった小堀鞆音
の絵を石版におこしている。

 口絵は彩色石版画で「博雅の恵志」とあり「蝉丸之図」とネームが入っている。琵琶の名手といわれた博雅が盲目の琵琶法師・蝉丸に教えを受けるという場面なのだが、今日、この絵を見て、その由来がわかる人間がどれだけいるだろうか。ましてや、少年雑誌で、こんな絵やエピソードが歓迎されたのだろうか。

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「少國民」の口絵。エッチング風合いを真似た木口木版、それをさらに石版に転写か。この印刷手法は10年後にはほとんど消える。
 

 気を取りなおして次のページをめくる。「スパニアの闘牛戯」と題された一点。
 これはまた細密な。木口木版を石版におこしかえた版ではないか。明治26年の時点では写真版はまだ普及してない。木版か石版による印刷の時代。逆にいえば、木版師、石版工の腕の見せどころがいくらでもあったわけだ。この画など、ことによると海外の銅版画による印刷物を木口木版に刻り移したものかもしれない。

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本文、「葛と葛粉」。「少國民」には、こういう実用?的な記事も多い。主筆、石井研堂の好みか。

 巻頭は「研堂」による「學術の実益」という文章。研堂はもちろん、石井研堂。この「少國民」の主筆。石井研堂といえば独学で小学校の先生になったあと、この「少國民」など少年誌の編集にたずさわり、のちに『明治事物起原』の大著を書き上げた人。釣人、あるいは浮世絵の研究家としても名を成した。
 研堂の興味からか、妙な記事もある。「鳥獣剥製法」あるいは「葛と葛粉」。文章を読んでも仕方がないが、その図のリアルさには舌を巻く。

歴史物は幸堂得知による「小説敦盛」。小堀鞆音の挿し絵が木版におこされている。
 その他「地質学講義」「街上測図法」「統計学」「人智の進歩」「西国巡礼」「数理奇問」等々と、なかなか盛り沢山。本文総ルビ、挿し絵ふんだんとはいえ、かなりレベルが高い。明治の少年は、こんなハイブロウな雑誌を読む力があったのだろうか。
 というわけで、ザッと頁を繰った後、裏表紙(表四)を見る。上段は、少年雑誌というのになぜか「宝玉入金製指環」の広告なのだが、その下に「小国民主筆石井研堂先生著・永洗広業ニ先生画」とし『日本漂流談』の書籍広告が出ている。
 そうか、そうか、この『少國民』は石井研堂を主筆に迎えての少年雑誌であったわけだが、その縁で同じ学齢館から石井研堂の『日本漂流談』が出たというわけだ。

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明治28年1月創刊の「少年世界」。「お
伽話」の巌谷小波率いる明治の少年雑誌の雄。この号は明治30年1月15日号。
 
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 主筆の話となると、巌谷小波率いる明治の少年雑誌の雄『少年世界』を見てみなくては。『少年世界』は明治28年1月創刊だが、今、手にしているのは明治30年1月15日号。
 表紙は、円の中に日本地図が描かれ、北から南へとカモメが飛び来っている。そして右下に大きな碇と樹花が描かれる。
 それにしても、雑誌の内容を示した四角の囲みの上にとまるカラスの群れは、どんな意味があるのだろう。私には、なにやら不吉なものにしか映らないのだが……正月号というのに。
 もっともカラスは知恵者、先導者のシンボルでもあるというから、これはこれでいいのかなあ。私が編集長だったら一応ダメ出しするけど。
 すでにふれた志賀重昂の『日本風景論』との関係でいえば、「少年世界」は、明治28年1月の創刊だから明治27年刊行の『日本風景論』のすぐ翌年にスタートを切ったわけである。

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「少年世界」口絵。明治30年の正月号のためか、
これは木版でも石版でもなく、写真製版か。いや、やっぱりそうだ、右下に小さく「神田鎌倉川岸猶興舎写真版」の文字が見える。ソキの入った口絵だったわけだ。

 

 そして、今、私が手にしているのが、創刊から丸三年たった明治30年の1月号。
 口絵は「畑時能と名犬獅子」。画は水野年方。いわゆる歴史上人物。南朝の忠臣。「少國民」の口絵もそうだったが、この時代、エピソードがある歴史画が流行だったのだろう。子供たちの関心をひいたのかもしれない。今日では、ちょっと考えられないけど。
 ちなみに画の水野年方は月岡芳年の弟子。そしてこの年方の弟子が鏑木清方。神田明神の裏手に、この年方の灯籠型の美しい碑が立っている。
 次の頁は、なんと写真が登場する。いわゆる博士様の肖像写真で「医学博士大澤謙二」と「法学博士穂積陳重」。私は大澤謙二という名に心あたりはまったくないが、穂積陳重は、電話帳のような大著『隠居論』でお世話になっている。

 
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