古書道楽「珍・本・版」
2007.05.28
明治中期は打ち揃って、なんだかスゴイ!
坂崎 重盛
刻々と変化のさま

 前回は明治29年刊(初版は明治29年)の志賀重昂『日本風景論』を掲げながら、明治中期の本が、江戸の「版」の名残りをとどめていることを紹介した。

 そして、漢文調の文体で書かれた『日本風景論』がでてから、5年もたたぬうちに、西欧の新しい風景観を身にまとい、新しい文体でつづられた国木田独歩の『武蔵野』が出版されたことにふれた。

 明治中期から後期にかけて、刻々と世の中(文化)が変化してゆくさまが『日本風景論』と『武蔵野』の例一つをとってみてもわかる。

 
右から明治34年刊の『武蔵野』。中が、布装・木版手刷り本で大正6年新潮社刊『武蔵野及渚』。左が今日も入手しやすい岩波文庫。
まずは明治27年刊の『日本風景論』。


「江山洵美是吾郷」(大槻磐渓)と、身世誰かわが郷の洵美をいはざる者ある、青ヶ島や、南洋浩渺の間なる一頃の噴火山、爆然轟裂、火光煽々、天日を焼き、石を降らし、灰を散じ、島中の人畜殆んど斃れ尽く(以下略)(岩波文庫より。ルビ等省略)
 
 次が明治31年刊の『武蔵野』より。
   
  「武蔵野の俤は今わずかに入間群に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見た事がある。そしてその地図に入間群「小手指原久米川は古戦場なり。太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦う事一日がうちに三十余度日暮れば平家三里退きて久米川に陣を取る。明くれば源氏久米川の陣へ押し寄すると載せたるはこの辺なるべし」と書き込んであるのを読んだ事がある。自分は武蔵野の跡のわずかに残って居る処とは定めて此古戦場辺りではあるまいかと思つて、一度行って見るつもりでいてまだ行かないが、(中略)(岩波文庫より。ルビ等省略)
 
 
4年の差しかない『日本風景論』と『武蔵野』
 

 二つの文の両方とも、書き出しの一節である。『日本風景論』の引用に対し、『武蔵野』の引用の方が長くなったのは、その前半が江戸の地図からの引用文で、独歩の地の文が出てくるのは、その後からのため。

 志賀重昂の文章は、一種の美文である。文字づらが豪勢でリズムもある。しかし、これは今日通用する文体ではない。チョンマゲをつけている、とまではいわないが、羽織袴のスタイルではある。

 一方、独歩の文章は、口語に近く平たく、風通しがいい。シャツにズボンといったスタイルか。
現代では5年や10年では、そうそう文体の差は見られない。いや、戦後すぐと平成の今日、文体だけでその時代を見分けることができるかというと、それはまず無理だろう。

 しかし、明治の中期には、これだけの激しい変化(進化)があったのだ。

 独歩の文章に接すると、志賀重昂の文体はいかにも古い。ただ、同時代だとはいえ、年齢の差というものもある。七十歳、八十歳の大家と三十代の気鋭の作家が、同時代に生きているからといって、ものの考え方や文体には大きな差がでる、ということは当然おこりうることではある。

 では、志賀と独歩の年齢差は――というと、志賀は1863年生まれ。これに対し独歩は1871年。8歳の差しかない。ついでに亡くなったのは志賀は1927年、独歩はそれより19年も早い1908年。

 くりかえしになるが志賀の『日本風景論』と独歩の『武蔵野』は、たった4年の差なのに、その文体は、まるで一時代も二時代も違うような印象がある。いかに、この時期が激しい時代の転換期だったかということがわかる。

 しかし、志賀のような旧体美文調が、一気に独歩のような平明な言文一致的文体になったのかというと、そんなことでもないようだ。

 
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