【趣の庭】軽井沢便り
2014.4.14   
Karuizawa Journal

ダラット市郊外の雲海から

極上の朝霧レタスをお届け


荒井 久  

 この号が発行される2014年4月15日。ベトナム・ダラット市に誕生した新会社アンフーラクエ有限会社は、ホーチミン市でレストラン・チェフ、卸業者、小売業者などバイヤーを招いた「レタス試食会」を開催しているはずだ。
 それに参加するためもあって僕は4月8日の早朝に成田を発ち、その日の夜にダラット市の新会社のオフィス兼宿泊所に到着した。そして11日、この原稿をしたためている。このタイトルとほぼ同じタイトルで当日向けのチラシ原稿も作成中だ。

 9日、10日はレタスの収穫に参加した。スタッフの1人は4時半にバイクで出掛ける。僕たちは朝4時半起き、5時に出発。栽培している畑までは車で約30分の距離、山中だ。

ダラット市郊外の雲海。この下にレタス畑が広がる

 間もなく畑という時に、とんでもない光景が飛び込んできた。思わず、運転手さんに車を停めていただき、写真に収める。それはそれは見事な雲海。あの雲海の真下が目指すレタス畑だ。深い霧が充満していた。

 後ろ席のパートナー企業APPの若きニュエン社長は「ベトナムではこの情景を雲が山を食べると表現するんです」と。確かに。山が雲を食べるというより、雲が山を食べている。雲がこの世界を制覇している。隣席の花岡社長は僕の感動に驚き、「朝霧レタスですかね」と呟く。「朝霧レタス」。いいネーミングだ。

朝7時。朝霧は快晴の太陽に追われる

 レタスの収穫は朝の暗いうちから始まる。これは川上村でも同様だ。川上村では個々人の頭にカンテラと呼ぶ灯りを点けて収穫作業に臨む。だがこちらではそもそも農業従事者が暗いうちから働く習慣がない。現在約10名の現地ワーカーは畑に5時半に集結する。現場では、その習慣を徹底するのに苦労している。太陽が上がらないうちに刈り取り、冷たく保存して運ぶ。全ては買ってくださるお客様のためだ。

朝霧を浴びたレタスは極上そのもの

左:土屋会長、右:花岡社長

 最初の刈り取りは3月29日。土屋代表も畑に駆けつけて、瑞々しい極上のレタスをその場の畑で試食。スタッフの間に感動が拡がったという。「この感動をベトナム中に広げたい」と花岡社長。

 極めて順調にきた「川上村―ダラット・レタスプロジェクト」だが、思わぬ落とし穴が待っていた。刈り取り間近の3月下旬、珍客が現れた。野生と思われる野豚(?)が、我々の罠に引っ掛かったのだ。現場では今夜はトン汁?などと大騒ぎだったが、結局は逃げられた。

罠に掛かった野豚

 実はこの罠、水牛対策に畑の周辺に作った罠だった。最初の刈り取りの2日ほど前のことだった。夜中に5,6頭の巨大な水牛がやってきて、美味しいレタスが100個ほど食べられてしまった。さすがに美味しいものを知っているなと感心している暇などない。

 早速、周辺に有刺鉄線のガードをした上、襲ってきそうなところに大きな穴を掘り、罠を仕掛けた。ところが罠に掛かったのはなんと野豚だった。しかも、夜中中、スタッフが見張りを続けた。その見張り小屋が以下の戦車。ロシア製でキャンピング用という。

ロシア製戦車が見張り小屋に使われた

 実はイノシシの一家も現れているが、幸いにしてレタスは好みではないようだ。その後、豚、水牛は現れておらず、一件落着の様相だ。だが、不幸はまだまだ襲いかかる。
 4月4,5,6日の3日間、現地は記録的な激しい大雨に襲われる。いわゆるバケツをひっくり返したような地面を叩きつける雨。その雨で収穫間近のレタスが傷つき、その傷からレタスが痛んでしまう。以下の写真のような被害。これでは出荷できない。全滅。僕は9日、10日と収穫に参加したが、小さくなって出荷できないレタスを山ほど食べた。

大雨で出荷できなくなったレタス

 午前中は快晴だが、午後から夜にかけて土砂降りの雨。完全に雨期の状況が、思わぬ早くやってきた。地球規模での気候変化がここでも現れてきたのだろうか。地元マスコミもその異常さを伝えている。野菜はすぐに倍に高騰したという。

出荷できるのは規格外でもほんのわずか

 そこで編み出したのがポリエステル製の網テント。これを載せることで叩きつけるような強い雨の被害は避けられる。雨は網目から下に落ちるのだが、激しくはならない。しとしと雨ならレタスへの被害は少ないという。

ポリエステル製の網で叩きつける雨を避ける

  さて、出荷できなかったレタスは、我がオフィスに持ち帰った。この瑞々しさ。僕にはとても捨てられない。さあ僕の出番だ。スタッフはダラットまで、晴れ晴れ家(文京区根津で僕が経営しているレストラン)の出張サービスだと喜んでくれる。

出荷できないレタスをオフィスに持ち帰る


 僕は、晴れ晴れ家で人気上昇中の「ステーキ&レタスチャーハン」を作るのだが、勢い余って約1.5kgの牛肉を買い込み、大型ステーキを振る舞った。別途、レタスたっぷりのチャーハンも作った。レタスとクレソンのサラダも大型寸胴に半分作ったが、全部、平らげてくれた。

晴れ晴れ家2号店(?)で乾杯


 明けて僕は、15日の試食会に向けた様々な資料を作る。宣伝になって恐縮だが、試食会のチラシの一部に僕はこう書いた。

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川上村の標高1300mだが、ダラット市の標高は1500m。共に雲海の下、朝は朝霧を浴びて、昼は強い太陽を浴びて育ちます。その昼夜の温度差の大きさが美味しさの秘密です。しかも、有機肥料を多用し、農薬は日本基準の半分以下に抑えた日本流「特別栽培品」。川上村で実施してきたことと同様です。さらにデリバリーでも完全を期しています。早朝、太陽が上がる前の刈り取り、その後に真空冷却を施し、冷蔵車でダラット市内、ホーチミン市内に運びます。最終消費者が手に取るまで「冷えたままで」が、私達のモットー。極上品には様々な訳があります
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 そして11日。Hiroさん(土屋会長)がハノイから駆けつけ、夕食はhiroさん、Qさん(僕)の合作。若いスタッフに振る舞った。メニューはカツオのタタキサラダ、ガーリック・シュリンプ、豚の生姜焼き、レタスの味噌汁。ビールは333(バーバーバー)、ご飯はベトナム米。新会社では、土屋会長の提案で僕たちはファーストネームで呼び合っている。
 この日昼頃に入手できた新会社の営業許可書と新会社登録印を目の前にして、乾杯を繰り返す。記念すべき4月11日になった。




荒井 久
1945年、長野県生まれ。1968年、東京電機大学電子工学科を卒業して日本経済新聞社に入社。日経BP社で日経ニューメディア編集長、日経コミュニケーション編集長などを歴任。「コンピュータ・テレフォニー」「ビットバレーの鼓動」「モバイル・インターネットの鼓動」「Web2.0の鼓動」など著書多数。02年、株式会社ソリック(www.soriq.jp)を設立、代表取締役として現在に至る。09年1月、ソリックブックスとして藤原忠彦著「平均年収2500万円の農村」を刊行。08年06月から軽井沢の貸し別荘「軽井沢ヴィラArai」( http://www.karuizawa-villa.com )を、さらに09年6月からは、長野県下の名産物をネットで販売する「採れたて長野」( http://www.rakuten.co.jp/toretatenagano/ )を経営している。
12年12月から東京都文京区根津で、ベジタブルダイニング「晴れ晴れ家」を経営。

 
 
 


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