【趣の庭】軽井沢便り
2012.7.24     
Karuizawa Journal

久しぶりの信州・佐久

50年を経て、旧友と熱い交流

荒井 久  

 先日、生まれ故郷の長野県佐久市周辺に出張。6市町村の役場を回った。三重県四日市市で成功した「地域コミュニティ」システムを売り込むため、四日市の専門家と共に訪ねた。四日市発の地域コミュニティを長野県佐久地方に飛び火させ、いずれは全国規模に普及活動をしたいというのが目論見だ。
 それはそれとして、絶対に訪ねたい蔵元があった。少し前に東京・千駄木に自宅付近のお気に入り居酒屋で発見した日本酒「佐久の花」。山口県の「獺祭」、佐賀県の「鍋島」と共に「銘酒」として紹介されていた。僕の地元故、後回しにしていた佐久の花なのだが、飲んでびっくり。旨い。ラベルをみたら、蔵元はかつての高校の同級生の家の近く。その場で、その同級生、宮澤昭一君に電話したのだった。すると彼、「ああ、今、ブレークしているらしいよ」と。すぐに訪ねたくなったのは言うまでもない。

 そしてこの日、宮澤君に久しぶりに会うと共に、すぐに憧れの蔵元となった「佐久の花酒造」を訪ねた。彼の家から徒歩2分と至近距離だった。早速、蔵元の女将と宮澤君(右)と記念撮影。女将がことのほか喜んでくださった。彼が僕に大吟醸をプレゼントしてくれた。僕はお土産用を含めて、無ろ過吟醸酒の「佐久の花」3升と「五稜郭」1升を求めた。ちなみにその近くに函館と同様、五稜郭の跡地があるのだ。

   

 「僕が大学に行けたのは荒井君の強い勧めがあったから。凄く感謝している」。僕の同行者にそう説明する宮澤君。実は二人とも上田千曲高校電気科の生徒だった。憧れの日立製作所に入るのが夢だった。だが、僕はひょんなことから、大学に進学することを夢見る。宮澤君を道連れにして。もう50年も前の話だ。その宮澤君と久しぶりの「囲碁」対決。彼は昔から強かったが、やっぱり今でも強かった。僕の1勝2敗。そんなところだね。宮澤君の家には東京から引き揚げた長男一家がIT系、ネット系の仕事を始めていて、不思議なことに、もしかして仕事もご一緒するかも知れないことに。東京に戻ってから、そんなことを思い出しながら自宅で冷えた「無ろ過吟醸酒の佐久の花」をいただく。ことのほか旨かった。

 不思議な縁はまだ続く。宮澤君の二男、宮澤暢彦さんは東京でネットビジネスをしていたが、こともあろうに「足」を使うビジネスに飛び込んだ。1人会社を起ち上げた。それが、僕の大好きな「馬刺し」をレストランに売る会社。

 まるで時代に逆行するような31歳の若者だが、その生きざまに感動した。彼は今、フレンチやイタリアンなど有名レストランに足を運び、熊本県と長野県の業者の馬刺しを売り込む。見上げた根性持ちだ。各レストランから馬刺しの注文を取り、各業者から送ってもらうという商売だ。先日、お茶の水駅前のカフェで会った。その後に送っていただいた、「赤身」(上部)、「ヒレ」(下部)「ネックファットタチ」(中部)を賞味。赤身とヒレの差が少ないのに驚く。「ネックファットタチ」はいわゆる「タテガミ」だろうか。これも旨かった。

 僕はネット「採れたて長野」で馬刺しを売り、彼は足で売る。聞けば、元々はネット関連の仕事をしていたそうな。ネットから足へ。僕ともしばし、馬刺し論議が進んだ。まだ独身。快活で、明るい好青年だった。こういう青年を成功させる日本にしなくてはならない。


 

荒井 久
1945年、長野県生まれ。1968年、東京電機大学電子工学科を卒業して日本経済新聞社に入社。日経BP社で日経ニューメディア編集長、日経コミュニケーション編集長などを歴任。「コンピュータ・テレフォニー」「ビットバレーの鼓動」「モバイル・インターネットの鼓動」「Web2.0の鼓動」など著書多数。02年、株式会社ソリック(www.soriq.jp)を設立、代表取締役として現在に至る。09年1月、ソリックブックスとして藤原忠彦著「平均年収2500万円の農村」を刊行。08年06月から軽井沢の貸し別荘「軽井沢ヴィラArai」( http://www.karuizawa-villa.com )を、さらに09年6月からは、長野県下の名産物をネットで販売する「採れたて長野」( http://www.rakuten.co.jp/toretatenagano/ )を経営している。

 
 
 


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