【趣の庭】軽井沢便り
2011.6.22     
Karuizawa Journal

過疎の2村を魅力の村に変えた

根羽村で川上村長と同志対談

荒井 久  


 20年前。二人はまだ若い、駆け出しの村長だった。一人は長野県の東端、川上村長の藤原忠彦氏(73、写真左)。無選挙で選ばれた1期目の4年目だった。方や、長野県の南端、根羽村長の小木曽亮弌氏(72、写真右)。若い村民にかつがれて選挙を勝ち抜いたばかりだった。
 この二人がこの6月4日、根羽村で20年を振り返って、楽しい対談を繰り広げた。ちょうどこの日、根羽村では20年以上続いているというネバーランドでの植樹祭。藤原忠彦川上村長はこの植樹祭にゲストとして招かれていた。そこで、ネバーランドが経営する宿泊設備での対談となった。小木曽氏はこの4月末、5期20年務めた根羽村長を引退した。健康不安がその理由だった。

藤原:「僕の場合は1期目こそ無投票で村長になったものの、6期のうち3期、4期には選挙になった。小木曽さんは1期目に選挙で選ばれた後は5期まで全部無投票だからね。根羽村民の信望の厚さがわかりますすね」

藤原:「23年前に村長になった時、どうしていいのか分からないことが多すぎて、せっせと長野市の県庁に通いましたね。特段に用事がなくても行くんですよ。何かの情報がないか。村に役立つ何かはないか、とね。僕はもともと村の企画課長をしていたので、県にはしょっちゅう通っていましたから前任の村長を助けるために、せっせと企画を練っていました」

藤原:「村長になってからもさらに通うようになりましたね。まあ、県庁詣でですね。1期4年目になった頃、僕にはライバルみたいな村長が現れた。僕みたいに、しょっちゅう通ってくる村長がいると言うんです。それが、根羽村の小木曽亮弌村長だった。そして、明くる年だったかな。長野県地方課長の前で、ばったりと出くわした。何とも言えない同志みたいな感情を持ちましたね」

小木曽:「僕の根羽村は、村の92%が森林。狭い農作地しかないし、森林と共に生きなきゃならない。村長に初当選した時、時の村議会議長が僕を山に案内した。もちろん山なんか昔から、良く知っていたつもりだった。だが改めて議長に案内されて、この村を、この森林を守らねばとの想いが沸々と湧いてきた。時はすでに、木材の輸入自由化で、国内の木材関連は深刻な状況に陥っていた。どうしたらいいのか。県庁を訪ねて、様々な工夫や知恵が欲しかった」

藤原:「長野県庁のある長野市は北信にある。東信の川上村からも僕は遠くて難儀だったけど、南信のもっとも南の根羽村からはもっと大変だったでしょう」

小木曽:「根羽村からもっとも早く行くには車しかない。それでも、根羽から4〜5時間は掛かる。朝10時に知事とかアポが入れば、朝4時に起きて出かけた。そんな出張を日帰りでこなせねばならなかった。しかも、せっかくだからとあちこち関連部署を回った。藤原村長にお会いできて嬉しかったのは、気持ちを共有できると思ったからです」

 その後、お互いの悩みを聞きあったり、お互いの助け合いが始まる。仕掛けたのは藤原村長だ。川上村は昔から唐松が有名だ。その苗は北海道まで出荷していた。昔は脂(ヤニ)が嫌われたが、今や特殊な技術で脱脂が可能で、最新乾燥でねじれも無くなった。一方で、根羽村は年間の雨が多く、根羽杉が有名だ(写真)。そこで、川上村の唐松村有林と根羽村の杉村有林を交換することにした。さらに、檜で有名な大桑村とも川上村は同様な交換を試みる。その結果、根羽村と大桑村もそれぞれ村有林を交換。ここに森林利用のトライアングルが完成する。お互いに協力して国内木材の振興に役立てようというわけだ。

藤原:「お互いに法律的に所有権を持ち合っているわけではありません。どちらかというと精神的な所有権。お互いに交換した村有林は自由に利用することができるんです」

小木曽:「根羽村には木造モデルハウスを3村の木材を利用して作りましたし、川上村は同様に日本で一番大きな木造建築物である川上中学校を作りました」

藤原:「今回の地震でも、ほとんどの家屋を失った長野県北部の栄村に、小木曽さんの発案で3村協力のモデルハウスを作ることになりました。200年住宅には絶対に木造が良いんです」

小木曽:「昔は家屋には向かないとされていた唐松ですが、うちの設備で処理すると素晴らしい素材になる。しかも、使い込むほどに、ピンク色の変化してきます。美しいですよ」

小木曽:「そうそう。今年も根羽村は30戸にそれぞれ、根羽杉の柱50本を無料プレゼントしますよ。条件は、長野県、愛知県、岐阜県の居住者で根羽杉と根羽檜を構造材部分で50%以上、造作材部分で50%使用すること、それと地域の景観や風土に配慮した外観であること、などです。興味のある方は根羽村のモデルハウスを見に来て欲しいですね」

 村の助け合いということでは、こんなこともあった。今年3月11日に発生した東北・東日本大地震に続いて長野県最北部の村、栄村に大地震が発生、ほとんどの家屋が破壊され、道路も寸断された。その後まもなく、小木曽村長をはじめ根羽村の一団が、根羽村特産の生蕎麦、力うどんをトラックに積んで駆けつけた。各集落を回りながら暖かい蕎麦、うどんを振る舞った。

小木曽:「やっぱりね。昔受けた恩が忘れられなくてね。ここ根羽村がとんでもない集中豪雨に襲われ、村のあちこちに土砂が流れ、道路は寸断され、村は陸の孤島に孤立した。どうやら道路がつながった3日後ぐらいだったろうか。川上村から義援キャベツ届く。翌日、そんな見出しで信濃毎日新聞でも報道されました。川上村から、キャベツを山ほど積んだトラックがやってきた。トラックの助手席には、藤原忠彦村長。感動しました。しかも全戸に配っていただき、余ったキャベツは隣村にも及びました」

藤原:「川上村はレタスの全国一の生産地ですが、あの時はキャベツがいいなと思いました。日持ちが良いですからね。村民が自主的に供給してくれました」

 藤原忠彦川上村長はその後、長野県町村会長に、そして昨年4月、全国町村会長に上り詰めた。拠点は川上村に、長野市に、東京・永田町にと目まぐるしい。「なぜか、ここ根羽村が僕の癒しの地なんだよね。また夏にレタスを持って売りに来ますよ」
 一方、20年振りに本業の土木建築業に戻った小木曽亮弌氏はこの日、直足袋を履いて登場した。すでに心は、地元の村づくりにある。「ただまだ、根羽村の森林組合理事長は続いているので、こちらでも森を守ることには配慮していきたい。なにより、若者が喜んでくれる仕事創出が大事ですね」
 どうみても、このお二人は気が合う。終始、笑顔、大笑いが絶えなかった。 川上村も根羽村も採れたて長野に協力してくれている。長野県、村、万歳。僕はそんな気持ちになる。

 

荒井 久
1945年、長野県生まれ。1968年、東京電機大学電子工学科を卒業して日本経済新聞社に入社。日経BP社で日経ニューメディア編集長、日経コミュニケーション編集長などを歴任。「コンピュータ・テレフォニー」「ビットバレーの鼓動」「モバイル・インターネットの鼓動」「Web2.0の鼓動」など著書多数。02年、株式会社ソリック(www.soriq.jp)を設立、代表取締役として現在に至る。09年1月、ソリックブックスとして藤原忠彦著「平均年収2500万円の農村」を刊行。08年06月から軽井沢の貸し別荘「軽井沢ヴィラArai」( http://www.karuizawa-villa.com )を、さらに09年6月からは、長野県下の名産物をネットで販売する「採れたて長野」( http://www.rakuten.co.jp/toretatenagano/ )を経営している。

 
 
 


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