【趣の庭】軽井沢便り
2011.2.22     
Karuizawa Journal

「野沢菜漬」と「源助じいさんのかぶ菜漬」

信州に息づく、自然発酵の贈り物

荒井 久

   スキー場の民宿でいただく野沢菜漬、どうしてこんなに美味しいんだろう。そういう経験をお持ちの方は多いだろうと思う。 信州・佐久地方で育った僕は特にこのシーズン、「野沢菜漬」は欠かせない一品だ。子供の頃を思い出す。晩秋の霜で、畑の野沢菜は鮮やかな緑色からやや紫色に変化する。「さあ、漬け込むぞ」。農家ではなかった僕の家では、農家から大量の野沢菜を仕入れる。

   その野沢菜を庭の井戸でたくさんの水を溜めて洗う。井戸水は18℃に保たれているから冬では暖かく感じる。台所の水道水では水が冷たい上に、場所も狭い。ご近所の皆さんにも、庭の井戸水を開放していた。信州の冬の風物詩の一つだ。

   佐久市の中心部に位置する旧中込町に育った僕は、隣に旧野沢町があり、野沢菜はそこに由来するとばかり勝手に解釈していた。18歳で進学のために上京すると、長兄が毎年12月になるとトラックで野沢菜漬を2斗ダルに積めて運んできてくれた。その後は、在京の親戚に2斗ダル、4斗タルと増えていった。僕はいただいた野沢菜漬を仲間に配って喜ばれた。

   ところが僕はある時、東京・神田の鰻や「浜や」で、とてつもなく旨い野沢菜漬に出会う。店主曰く「長野県北部県境地方の実家から送られてきたもの」。それが、野沢温泉村からだった。すでにその当時、薄々感じていたことだが、ここで初めて、野沢菜の由来を知ることとなる。

   太くて甘い、野沢菜漬だった。古くなればなるほど酸味と甘みが増し、発酵による恵みを感じることになる。そんなことを思い出して、僕が野沢温泉村に向かったのは昨年3月末のことだ。

   そこで、地元大手のとみき漬物の富井義裕社長に出会えて、ようやく、しっかりと野沢菜漬の秘密をつかめた。今は、そのとみき漬物の野沢菜漬各種を販売させていただいている。
   豪雪地帯の野沢温泉村は3月末でもなお、雪に覆われていた。その中でも野沢菜が芽を吹き出していて驚いた。やがてこれが菜の花として咲き乱れ、次の種を作る。

   不思議なことにこの野沢菜。生で食べようとしても、一向に美味しくない。たくさんの塩で漬け込むことで、その奥に潜む甘さ、美味しさが引き出されてくる。自然の力による発酵という手を借りて。

   そして昨年末になってからのことだ。以前にお会いした、南信州はその南端に近い泰阜村役場の平栗さんからのメールで、今や同村にしか存在しない「源助じいさんのかぶ菜」を知ることになる。

   早速に取り寄せてみると、なんとこれが叫びたくなるほど旨い。野沢菜漬に愛着を持つ僕だけかと思いきや、多くの方々に絶賛をいただいた。これは間違いない。長野県伝統野菜にも指定されて、種の村外持ち出しは禁止されている貴重なかぶ菜。

   野沢菜漬に似ているが、こちらはしょうゆ漬だった。旨さの秘密はそこにもあるようだ。すぐに、採れたて長野でも取り扱いを始めたのだが、すぐに売り切れ。ところが、同じ手法で2カ月間漬け込んだ熟成物があとを引き継ぎ、現在はそれを販売している。

   「源助じいさんのおはづけ、熟成」がそれ。そういえば子供の頃、野沢菜漬のことを「おはづけ」と呼んでいたことを思い出す。この熟成がとんでもなく美味しい。発酵がさらに進んだためだろう。信州の自然と、信州人の知恵に感謝するしかない。この頃は大手新聞に美味で貴重な商品として紹介され、いつになくブレークの兆しという。売り切れないのを祈るばかりだ。


荒井 久
1945年、長野県生まれ。1968年、東京電機大学電子工学科を卒業して日本経済新聞社に入社。日経BP社で日経ニューメディア編集長、日経コミュニケーション編集長などを歴任。「コンピュータ・テレフォニー」「ビットバレーの鼓動」「モバイル・インターネットの鼓動」「Web2.0の鼓動」など著書多数。02年、株式会社ソリック(www.soriq.jp)を設立、代表取締役として現在に至る。09年1月、ソリックブックスとして藤原忠彦著「平均年収2500万円の農村」を刊行。08年06月から軽井沢の貸し別荘「軽井沢ヴィラArai」( http://www.karuizawa-villa.com )を、さらに09年6月からは、長野県下の名産物をネットで販売する「採れたて長野」( http://www.rakuten.co.jp/toretatenagano/ )を経営している。

 
 
 


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