【趣の庭】釣り三昧
2009.7.13      

釣り三昧 Vol.40
Joy of Fishing


かつて居酒屋「弥助」には
ヨーコという女が通っていた

樋口 正博

 久しぶりに「つり丸」近くの居酒屋「弥助」の登場である。「弥助」には「つり丸」のケンがいつも釣ってきた高級魚を持ち込むので、「ケンは帰ってきたか」とタコの介が行くとみんなが問いかけてくる。

 この居酒屋には典型的な酔っぱらいおやじが集結する。このおやじたちの話題は、プロ野球、『水滸伝』『三国志』、サッカー、麻生話(自民党のね)。この話題がぐるぐると、何回も回転して夜が更けていく。

 店主の荒川さんは「ああ、夜の仕事は早くやめたいな。タコの介さん、だれか夜だけ店やってくれる女の人いない? ヨーコちゃんはいつ帰ってくるの? ケーコちゃんもやってくれないかな?」

 酒飲みのプロである荒川さんは、夜は仕事をしないで常連の酔っぱらいたちと飲んでいたいのだ。だから、「店やって」とだれかれともなく頼んでいる。

 ヨーコは元「つり丸」編集部員でアラフォー。ケーコちゃんはタコの介の会社の同僚でタコの介と同い年。

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今夜も「弥助」に集結して、くだを巻く酔っぱらいおやじ。
左は釣った魚を持ち込むケン

「あたし、離婚します」
とヨーコが言った

 ヨーコはタコの介がスカウトして「つり丸」に連れてきた。そのときはまだ30歳をちょっと超えたばかり。人妻だった。

 ヨーコは仕事が終わると、毎晩のようにタコの介たちと飲み歩いていた。その飲み屋のひとつが「弥助」だった。

 人妻が毎晩飲んだくれていていいのか? タコの介はヨーコを誘っておきながら、いつも酔っぱらった赤目でヨーコを問い詰めるのだった。

 ヨーコは明るく楽しい性格なので、「弥助」の店主、酔っぱらい常連おやじたちに愛されていた。飲みっぷりもたいしたものだった。

 そのヨーコがある日、思い詰めたようにタコの介に言った。
「あたし、離婚します。ていうか、ずっと前から家庭内別居状態だったの」

 そのことはうすうす感じていた。ヨーコが「つり丸」の仕事で釣り三昧の日を送っていたとき、ダンナは思わず怒鳴ったということを聞いた。
 「『つり丸』なんか辞めちまえッ!」

 なぜダンナが怒鳴ったかは知らない。ただ、ダンナは大の釣り好きで、それでヨーコも釣りを始めたと聞いた。

 そのアンバランスな現状に激怒したのかもしれない。仕事でひんぱんに船の乗るヨーコ。週末しか釣りができずに、それも月に1回か2回。ダンナは人知れず不満をこじらせていたに違いない。

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ケンが持ち込んだアジをさばく「弥助」のおやじ、荒川さん

「あたし、『つり丸』辞めます」
とヨーコが言った

 それ以来、離婚したヨーコは晴れて自由の身となり、「弥助」にもひんぱんに顔を出した。前にも増して明るくなった。そして、ますます酔っぱらいおやじたちに愛されていったのだ。

 そのヨーコが、再び声をひそめてタコの介に相談ごとをもちかけたのは、2年半前のことだった。
 「タコの介さん。あたし『つり丸』を辞めようと思う。もうじき、あたしも40歳になるし、もういいかなと思って…」

 そんなそぶりを少しも見せずに、明るくふるまっていたので、ヨーコが「つり丸」を辞めると言い出したときはびっくりした。

 「もういいかなってどういう意味だ。辞めてどうする。仕事のあてはあるのか。その歳で再就職はかなり難しいぞ」

 と、タコの介は当たり前のようなことを繰り返して、なんとか思いとどまろうとした。だが、ヨーコの決心は固く、その3か月後には本当に「つり丸」を辞めて出て行ってしまった。

 それを聞いた「弥助」の荒川さんと、常連のよっぱらいおやじは悲しんだ。

 ヨーコは「つり丸」を辞めたあと、なんと単身で沖縄に移住してしまったのだ。飼い猫2匹とクルマとともに。

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機嫌よく自宅に帰る酔っぱらいおやじたち

ヨーコには沖縄に
男が居るはずだ、そうである

 普通、女が沖縄に移住するからには、そこに男がいるはずである。そうである。そうに違いない。じゃ、それも仕方ないか。ヨーコの幸せのために。

 「弥助」の酔っぱらいおやじたちは、それぞれがそう思って納得したのだった。ところが、タコの介は知っていた。ヨーコに男の影はないことを。

 「なぜだッ!」
 実情を知った酔っぱらいおやじたちは、口を揃えて叫んだ。叫んでもヨーコは帰ってこない。いつの間にか原因はタコの介で、タコの介がヨーコをいじめて、泣きながら「つり丸」を辞めたんだ。そうなんだと、酔っぱらいおやじたちは、無実のタコの介を責めた。

 ときどき、ヨーコからメールがくる。
 「はろー。元気? ヨーコはぁ、いまとってもピンチなの。貧乏こじらせちゃって。タコの介さん、なんか沖縄で『つり丸』の仕事ない? サバニに乗ってグルクン釣るって企画ならすぐやるよ。じゃ、またね」

 明るいヨーコは、貧乏なんか気にしない沖縄のシマンチューと明るく貧乏を楽しんでいる。昼は派遣の仕事。夜は居酒屋の店員。

 それを聞いた荒川さんは「ヨーコちゃんに戻ってこいよって言ってよ。沖縄の居酒屋で働いているなら、『弥助』で働けって」とマジでタコの介に詰め寄っているのだ。

 ケーコちゃんもタコの介にこう言った。
 「あと3年もすれば定年か。そのあと、どうしようかな。ヨーコと居酒屋やろうかな」

 それを聞いた荒川さんが「ヨーコちゃんもケーコちゃんも、全部面倒みるからさ。夜の『弥助』をやってよ。2人なら大繁盛だから」

 そんな顛末をタコの介は嵐山光三郎に話した。面白がって話を聞いたあと嵐山が言った。
 「おい、タコの介、なんでオレを『弥助』に連れていかんのだ。オレは前から『弥助』で飲みたいって言ってただろ。早く連れていけ」

 でも、嵐山さん、「弥助」は汚い小さな居酒屋で、酔っぱらいおやじの巣窟なんだよ。タコの介が嵐山さんをご案内するような店ではないんだよ。
 さてと、この原稿描いたら「弥助」に行こう。

樋口 正博 (ひぐち・まさひろ)
1952年、長野県生まれ。
沖釣り専門誌「つり丸」編集長。最近は釣りよりも魚料理に興味が傾いてしまった。毎月一回、嵐山光三郎さんと連載「釣って開いて」の取材に出かけるのが、おもな釣り取材となっている。通称「タコの介」(嵐山光三郎命名)。
 
 
 


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