【趣の庭】釣り三昧
2008.10.27      
ずっと引き延ばしていた

父との約束

樋口 正博

 タコの介と父とは腹をわって話した記憶がない。親父は無口。タコの介はそれ以上に無口だった。中学時代はむしろ、わけの分からない親父の圧力に必死に反発していたのだ。
 父に感謝するとしたら、タコの介を釣り好きにしてくれたことだ。いまでこそ、釣りはタコの介の仕事に一部になっている。だが、肝心の釣りが好きでないと、いまの仕事はあり得ない。
 かといって、父が釣り好きだったのかは疑問だ。そのことにあまり確信が持てないのは、親父が釣りをしているのをタコの介はほとんど見たことがないからだ。つまり、親父は自分から釣りに出かけてはいなかった。

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みどり湖の周囲はうっすらと紅葉が始まっていた

 そのくせ、タコの介が最近の釣りの話をすると、「ほお、そうか」と、楽しそうに聞いてくれる。
 父親とタコの介が釣りを一緒にした記憶は数少ない。そのひとつが中学1学のときの長野県生坂村、犀川の山清路という場所の釣りだった。親父はここにタコの介を連れて行った。43年前である。
「よーし。これがリールだ。こうやって思いっきり投げるんだぁ」
 と、親父は竿をぶん回したが、まったく飛ばない。

 親父は教員で、いつもは気むずかしい雰囲気ぷんぷんで、タコの介は近づきにくかった。
 だが、親父は教え子には不思議と好かれていて、彼らは休日などには家に来て、タコの介たちと遊んでくれたのだ。
 そんな一日だったと思う。その日は、大きなウグイが1匹。でも、この釣りの面白さが、タコの介の人生を決めたのかもしれない。その記憶がいつまでも胸にずっと残ったのだ。

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春には水芭蕉の花が咲く


■小ブナ釣りしかの川

 タコの介の実家は長野県塩尻市。近くにはヘラ釣りで知られる「みどり湖」がある。周囲は1キロにも満たない。こじんまりとした湖である。実家からは車で10分もかからない。
 これまで「みどり湖」でずいぶんと竿を出した。両ダンゴではウキが動きすぎてお手上げ。釣れたのはオカメの釣りばかりだった。田舎の釣り場のくせに、けっこうシビアな釣りを強いられた。
 だが、緑の雑木林に囲まれて車の通りも少なく、静寂のなかで釣りが楽しめた。田舎に帰ると必ず寄っているお気に入りの釣り場である。

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みどり湖の隣りには田川浦湖があり、ここもへら師に人気がある


 10年以上も前になる。タコの介は実家でヘラ竿を出して手入れをしていた。そこに親父が来て、「それは何の釣りの竿だ」と聞いた。タコの介が40歳ちょっと。親父は70歳ちょっと。
「ヘラブナというフナ釣りの竿だよ。練り餌で釣るんだ。面白いよ。もう、10年近くもやってるんだ」
 とタコの介は言った。親父はタコの介がヘラ釣りに凝っていることを知らなかった。
「ほうか。フナ釣りか。俺は田川でよくフナを釣った」
 と親父が珍しく話し込んだ。田川というのは、タコの介の実家のすぐ近くを流れる川だ。周辺の田んぼに水を供給する大切な川。ここはいまでは岸を護岸してしまって昔の面影もないが、タコの介も小学生のころにフナ釣りをした川だ。


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みどり湖の釣り規定

 田川は「みどり湖」の水源でもある。つまり、「みどり湖」に流れ込んだ田川が、「みどり湖」を経由して流れ出している。もちろん、田川は最後には犀川に合流する。
 ちなみに、「小ブナ釣りしかの川」と歌った文部省唱歌「故郷(ふるさと)」を作詞した高野辰之は信州出身。つまり、タコの介が見た田川とそうは違わない光景を高野は見ていた。


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10月下旬、みどり湖は夏のゲリラ豪雨により工事中のため減水していた

 その10年前、タコの介はヘラ竿を磨きながら、珍しく相手をしてくれた親父にポツンと言ったのだ。
「今度、『みどり湖』でヘラ釣りをやろう。俺が竿とかほかの道具を全部揃えるから。『みどり湖』はいまでは東京からも釣り人が来るほど人気の釣り場なんだぜ」 「ほうか。ヘラブナ釣りか。面白そうだ。頼む、連れてってくれ」
 そう親父は、いつもの謹厳実直な顔を崩して、吸い込まれるような笑顔をタコの介に見せて言ったのだ。
 だが、その約束が果たせなかった。タコの介は自分の日常にかまけて、親父との約束をずっと引き延ばしていた。
 9月末の秋の空高い日に、親父は静かに旅立った。85歳だった。


 
 
樋口 正博 (ひぐち・まさひろ)
1952年、長野県生まれ。
沖釣り専門誌「つり丸」編集長。最近は釣りよりも魚料理に興味が傾いてしまった。毎月一回、嵐山光三郎さんと連載「釣って開いて」の取材に出かけるのが、おもな釣り取材となっている。通称「タコの介」(嵐山光三郎命名)。
 
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