【趣の庭】釣り三昧
2008.09.8   
  魅力的で悪魔な人の一周忌

嫌いだけど好きだった

樋口 正博     

 9月6日(土)は、「つり丸」の初代編集長、盛川宏の一周忌の法要だった。昨年の9月9日に74歳で他界した。

 夏がぶり返して、午後2時の中野の街にはジリジリと太陽が照りつけていた。
 厚地の礼服を着て、タコの介は遅れ気味の時間に急いて、法要が行われる寺に向かって小走りだった。ツツーっと、汗が胸を落ちていくのが分かる。
 参列者は親族のほかには、タコの介と釣りの関係が深かったBさん、そしてモリさんが『日刊スポーツ』のデスクだったときに部下で、現在は「つり丸」を発行している「マガジン・マガジン」社長の宮坂五十路の3人。
 法要の主は長男の盛川徹。徹とはその後「つり丸」で釣行記や魚料理などの記事を書いてもらい密接なつながりを持つようになった。

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「さしろ」のおやじが語る、かの人の思い出話

 そして、法要後の会食の席が北品川の「さしろ」だった。「つり丸」の魚料理ページでお世話になっているオヤジ、河原井毅夫がわれわれを待っていてくれた。
 子持ちアユの塩焼きから始まって、カツオ、マダイ、ヒラメ、ヤリイカの刺身、アナゴ、まつたけの天ぷら、お吸い物、まつたけご飯ほか、オヤジ渾身のメニューが並んだ。
 そこで、息子の徹やモリさんの兄弟とタコの介たちとで、モリさんを偲んで会話が盛りあがったのだ。
 盛川宏は希有の人である。もう、こんな人物は出てこない。
 生前のモリさんは人なつこく、気前がよく、いつも楽しい酒を一緒にしてきた。
 だが、その反面、周囲には予想外の奇行、そして独善、執念深さを振りまき、その反動として、少なからずの人たちに妬み、反感を買った数々の伝説を持つ人でもあった。
 タコの介とは、「つり丸」だけでも7年間毎日顔を合わせていた。モリさんの周囲にいるだけで、その強烈なオーラのためにめまいがしそうになって、しばしばタコの介は正常な判断を阻害された。
 彼が放つひと言のために、タコの介は一週間悩み続け、もうダメだと思うことが何度もあった。夢にまで出て「お前は何を考えているかわからん。ふざけたことをしている!」
 と、怒鳴り続けていた。そのくせ、本人は翌日にはカラっとしていて、何もなかったように昼飯に誘うのだ。憎らしくて憎めない。魅力的な悪魔のような人だった。

酔っぱらったあとに
モリさんはひと言いった

 モリさんはものすごい寂しがり屋で、夕方になると「おい、ひぐりん。ちょっと行こう」と、「つり丸」がある新宿区荒木町の行きつけの小料理屋「満まる」へ誘う。それが、ほとんど毎日の日課だった。
「満まる」は「つり丸」が創刊された年に開店した。花街だった荒木町にはぴったりの小粋な小料理屋で、おかみの竹内一美は包み込むようなほのかな色気があり、小唄をときおり口ずさむ。タコの介と同い年。大学生の娘さんがいた。
 そして、なりよりも魚料理が旨かった。タコの介の給料ではちょっと高めの店だったが、毎日築地まで仕入れにいくおかみが作る肴は、呑兵衛のおやじたちの心の琴線を震わせたのだ。

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モリさんを一番理解していた人。宮坂社長(左)とBさん

 カウンター8人でいっぱい。靴を脱いで上がる。おかみのほかに、いつも笑顔でかわいい女の子が一人いる。その女の子はある一定期間が過ぎると替わる。みんな韓国からの留学生だった。おかみのしつけがよく、でしゃばらず、無愛想でなく、よく気がついて客との間を外さない。
 ということはそう、呑兵衛のおやじたちの心のオアシスで、いつも席取り合戦になる。午後7時に行ったら、たいていは満員だ。
 とくに一番奥の席が一等席で、モリさんはここを定席にしていた。が、ライバルがいた。著名な政治評論家のKで、いつもこの席を奪い合っていた。

「あんなに人に好かれて嫌われた人はいなかった。ぼくも絶交しようとなんども思ったよ」
 と、Bさんが言った。じゃ、なぜ20年近くも付き合ったのか。それはヤボというもので、タコの介も問われても分からない。
「好き嫌いが激しい。こじれると徹底的に攻撃して、関係をめちゃくちゃにする。俺なんか、職場で衝突して1か月話もしなかった。すぐ隣にいるのに。ただ、エレベーターで2人っきりになったときは辛かった」
 と、宮坂社長。その話は本人からも聞いた。ただ、なぜそういうことになったかは分からない。

 ただし、こういう話もあった。宮坂が原稿を書いてモリさんに渡す。一通り読んで、なにも言わずに本人の目の前でビリビリと原稿用紙を破いてゴミ箱に捨てた。その理由はまったく言わない。「書き直せ!」としか。
 これを聞いて、編集者としてのタコの介はうらやましいと思った。人間関係が濃密な時代だからできた話である。タコの介もかろうじてこういう体験がある。それが仕事の糧となった。

 好きではなかった。むしろ嫌いだった。人を人とも思わぬ傍若無人の人だった。オレがオレがの自己顕示欲の塊の人だった。人を踏みつけてのし上がる人だった。
 だが、タコの介は知っている。「満まる」で酔いつぶれて言ったひと言を。
「ひぐりん。俺はな、毎日寝る前に自分に問いかけてるんだ。あー、ひどいことをしたと。毎日、毎日振り返ってるんだ」


 
 
樋口 正博 (ひぐち・まさひろ)
1952年、長野県生まれ。
沖釣り専門誌「つり丸」編集長。最近は釣りよりも魚料理に興味が傾いてしまった。毎月一回、嵐山光三郎さんと連載「釣って開いて」の取材に出かけるのが、おもな釣り取材となっている。通称「タコの介」(嵐山光三郎命名)。
 
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