【緑の庭】牧野植物園便り
2008.09.08  
   植物の新種発見1,500種類
 収集した標本は約40万枚
「牧野日本植物図鑑」を78歳で刊行

小松 加枝      

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今年4月に新設した南園「50周年記念庭園」へ向かう連絡道
(5月GW頃のようす)


 牧野植物園は、高知県出身の植物学者 牧野富太郎博士の業績を顕彰するため、1958年(昭和33年)に開園し今年で50周年を迎えました。世界的な植物学者 牧野富太郎博士の生きざまや植物研究への挑戦、その意志を受け継ぐために開園された牧野植物園をこの記念の年に紹介させていただきたいと思います。
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牧野博士と五台山の関わりなどを展示する本館
(写真は80歳代の博士)


■生涯独学を貫いた牧野富太郎博士

 牧野博士は、日本の植物相の解明を目指し、沖縄を除く日本全国をくまなく踏査し植物愛好家のネットワークをつくり植物の普及に努めた人物です。さらに、植物の研究のために生涯採集した標本は約40万枚、新種や新品種など約1,500種類以上の植物を命名し、日本の植物分類学の基礎を築いた先駆者として今を生きる人々に語り継がれています。

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展示館北側に広がる芝生広場。
市内を眺望できる園内でもおすすめポイントの一つ。


■植物学を志すため上京

 1862年(文久2年)4月24日に裕福な商家の一人息子として生まれました。高知市より西へ車で一時間ほど走ったところに、高岡郡佐川町があります。県内でも多くの自然が残るこの盆地の町で博士は22歳まで過ごしました。

 4歳の時に父、6歳で母が他界しましたが、教養のある祖母に何不自由なく大切に育てられます。私塾や名教館で、西洋の先端的な学問を習熟し、広い知識を身につけていましたので13歳で小学校へ入学するも物足らず2年で自主退学。その一方で、植物が大好きで、植物を採り観察しては図に記し、分からないことがあれば書籍やあらゆる人から学び、独学で植物の勉強に励みました。

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博士の生涯を4つの時代に分けて紹介した常設展示室

 22歳で植物学を志すため上京、東京帝国大学理学部植物学教室では、土佐から植物熱心な男が来たと迎え入れてくれ、植物分類学の研究に明け暮れます。

26歳の時に、日本の植物誌の第一歩を踏み出すことになる「日本植物志図篇」第1巻第1集を刊行。「植物学雑誌」第3巻第23号では、大久保三郎氏と日本で初めて新種「ヤマトグサ」の学名を発表、世界に牧野富太郎の名が知れ渡りました。

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秋風を感じる園内で見頃を迎えるフヨウ(9月いっぱいまで見頃)

 一方、必要な文献の購入や採集旅行などで出費が嵩み家族への経済的負担は増え、生活は窮地に陥ってしまいますが、多くの方の援助により救われます。当時、借金を背負いながらも夫の研究を献身的に支えた妻、壽衛(すえ)の死後には、新種のササに感謝と敬意を表しスエコザサと命名しました。

 東大講師辞任後の78歳で研究の集大成「牧野日本植物図鑑」を刊行。晩年になっても研究意欲はとどまらず、私財を投じて蒐集した4万5千冊の蔵書に囲まれながら、植物と片時も離れることなく、1957年1月18日94歳の生涯を終えます。牧野博士は、植物を愛する心を、生涯を通して教えてくれたのです。
(県立牧野植物園広報担当) 

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ビロードムラサキ。牧野博士が五台山で発見し命名した植物。9月上旬まで見頃 


 
 
高知県立牧野植物園

 牧野植物園は、高知県が生んだ植物学者・牧野富太郎博士の業績を顕彰する施設として、昭和33年(1958)に、高知市五台山に開園した施設です。平成11年11月には「牧野富太郎記念館」が開館しています。
 園内には博士を生む土壌となった高知県の植物を中心に、博士ゆかりの植物など約3,000種が四季を彩られています。
 また、植物園機能とあわせて、貴重な資料を紹介する展示、研究、生涯学習の場を提供する施設などを収めた博物館が同居する総合施設は、国内では他に例がないと思われます。さらに、景観に配慮した環境保全型建築の方向性を示す優れた建築物として全国的な評価を受け、第13回村野藤吾賞をはじめ数々の賞を受けています。

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