2010.3.23
創作の現場(9)
Contemporary Art News

ルネサンス祭壇画のUFO
Mystery of Early Renaissance Altarpieces
画家たちが描いた暗号の解読


ビデオエッセイ:高丘 卓



■図版解説:〈中央上〉マソリーノ・ダ・パニカーレ「サンタ・マリア・マッジョーレの奇跡」(1423年)。
〈左〉マティアス・グリューネヴァルト「キリストの降誕」(イーゼンハイム祭壇画部分=1515年)。
〈右〉カルロ・クリヴェッリ「受胎告知」(1486年)

イエスとは誰かについての諍い

コンスタンティヌスとリベリウスの奇跡

 数年来、リベリウス(図版右)は奇怪な雲の動きに胸騒ぎをおぼえていた。雲の様子がおかしいのである。入道雲の中からもうひとつ別の太陽のような光が現れたり、ときには恐ろしい獣や、巨大な竜のような姿になったりすることもある。色も形も変化する。また聖書に出てくる光の車輪のようになって、空を飛びまわったりすることもある。夜は夜で、天空をうめる星たちが地上に舞い降りてくるのである。幻覚か、いや悪魔の仕業だろうか、それとも神の啓示なのだろうか。
  8月4日の夜ことである。ローマに住むキリスト教徒の夫婦のもとに、聖母マリアがそれぞれに別々に現れ、同じお告げをした。「エスクイリヌスの丘に教会をつくりなさい。白い雪を降らせておくから、その跡にそって建てなさい」。彼らは貴族の身分で資産を蓄えていた。けれども子供がいなかったので、遺産を聖母マリアに相続したいと願っていたところだった。翌朝、ふたりはリベリウスを訪ねこの話しをした。リベリウスは驚いた、同じお告げを、昨夜リベリウス自身も受けたばかりだったからである。
 三人はローマ中の司祭と大勢の人びとをひきつれ、真夏の炎天下、エスクイリヌスの丘に行ってみた。お告げどおり白い雪の跡があった。リベリウスは、ここに聖母マリア教会を建てることを決めた。教会は雪のサンタ・マリア教会とか、リベリウスのマジョーレと呼ばれるようになった。西暦352年のことである。この年の5月に、リベリウスは教皇になったばかりだった。 ……
 ルネサンス祭壇画の謎をめぐる、今回のビデオエッセイの発端は「リベリウスの奇跡」とよばれる、この伝説からはじまる。奇跡の背景である4世紀のヨーロッパ地中海世界は、ローマによる覇権拡張の最後期のころにあたり、各地でまだ激しい侵略戦争の渦中にあった。北はゲルマン、東はペルシャまで、ローマは絶え間ない戦争にあけくれていたのである。また四頭政の宮廷内部では、家族親族間同士で権力をめぐる陰謀や血なまぐさい暗殺事件が、日常的にくりひろげられていた時期でもある。
  当時のキリスト教は 313年の「ミラノ勅令」で、コンスタンティヌスT世に公認されたばかりであった。左の図は、XとPの文字をかたどった、キー・ローまたはラバルムとよばれる印のあるローマのコインである。コンスタンティヌスが皇帝の座を手にすることになる、ミルヴィウス橋の戦いに勝利する前日に、このキー・ローが光の文字になってコンスタンティヌスの目の前に現れ、「この旗のもとに進めば勝利する」という天啓を受けたことに由来する。XP(アンチ・キリストにとっては憎悪の対象のシンボル)は、ギリシア語のキリストのつづりΧριστοςの頭2文字をあらわしていて、救世主という意味になる(ヘブライ語のメシア)。この奇跡がきっかで、コンスタンティヌスはキリスト教を容認することになったといわれるが、それはまたキリスト教が世界宗教になる、最初の一歩といえる事件でもあったのである。 
  325年のニケア公会議で、アレキサンドリアの司祭アタナシウスが、キリストの三位一体説に一応の決着をつけるまで、教会内部では、ナザレのイエスの神性をめぐって激しい論争がくりかえされていた。リベリウスはもともと、イエスの三位一体説を否定するアリウス派(イエスをキリストではなく人間とする、ユダヤ教に近い宗派)の思想に同調的だったが、聖母マリアによるお告げとエスクイリヌスの丘の奇跡のあと、三位一体説に肯定的になったといわれる。つまりローマ・カトリックの信仰の本質、三位一体とマリア信仰は、これらの奇跡に遡るのである。
 ビデオ冒頭のマソリーノの祭壇画は、それから一千年後に描かれた。
 右の絵は、15世紀の画家フランチェスカの「コンスタンティヌスの夢」である。鳥のように描かれたキー・ローが、眠りにつくコンスタンティヌスの頭上を舞っている、なんとも不思議な構図だが、よくよく眺めていると背筋が寒くなってくるのは、私だけではあるまい。『ダ・ヴィンチ・コード』がベストセラーになったように、昨今はアンチ・キリストのブームだが、さて果たしてどうなのだろう?
 それでは、ビデオをご覧いただくとしよう。

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UFO画家の系譜

   
 マソリーノ・ダ・パニカーレ(1383〜1440) 
Masolino da Panicale◎マソリーノはフィレンツェのブランカッチ教会の壁画で知られる。名声はヴァザーリの『ルネサンス画人伝』の影響で、すっかり弟子のマザッチョにもっていかれてしまったが、画風の評価などあまり当てにならない。マザッチョとは見ている世界が違っていたのである。ヴァザーリには訪れることのなかった奇跡を、マソリーニは、おそらくミッションとして描いたではなかろうか。上の絵はブランカッチ教会の壁画「聖ペテロの足萎の癒し」

 

 カルロ・クリヴェッリ(1430〜1495)
Carlo Crivelli◎日本人にもよく知られたルネサンスの画家である。クリヴェッリは、日本画家のように板の下地に金箔を貼りその上から絵を描いていった。ビザンツ風な色彩や構図、あるいはマリアが醸すエロティシズムに評価の目は向いているが、それらはみな、画家のアリバイ工作といえよう。クリヴェッリは波瀾万丈の人生をおくるが、生涯をとおして、神と人間の信じがたい関係を、トロンプルイユとして描いた画家である。上の絵は「聖母子像」

     
     
 マティアス・グリューネヴァルト(1470or80〜1528)
Matthias Grunewald◎16世紀のドイツの教会画家である。バイエルンのヴェルツブルグの出身といわれている。この都市はドイツでのカトリックの拠点のひとつで、プロテスタントが排撃された。一方ユダヤ教徒が拠点とする都市でもある。 グリューネヴァルトの活躍時期は1510年ごろから25年ごろまでと考えれている。28年にペスト死んだ。19世紀末まで忘れられた画家で、一般的にはボッスとならび称される幻想画家とされている。上の絵は「聖アントニウスの誘惑」

   ピエロ・デラ・フランチェスカ(1415or25〜1492)
Piero della Francesca◎初期ルネサンスのイタリアの画家である。20世紀になるまでまったく評価されず、やはり忘れ去られていた画家といえるだろう。現在、一般的には、新プラトン主義的な遠近法をもちいた画家として再評価されている。数学、立体論、遠近法についての著作もある。聖書およびキリストや聖母マリアの伝説を描きつづけた。おそらく、フランチェスカを捕らえた神秘と幻想の秘密を明かしたかったにちがない。上の絵は「キリストの復活」

 


高丘 卓 (たかおか・たかし)
 編集者。ビデオ・エッセイスト。宗教芸術研究家。ヘルメティズムの視点から、2003年に澁澤龍彦「ホラー・ドラコニア」(平凡社/全5巻)をまとめる。和光大学人文学部人間関係学科卒。

 
 
 


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