2009.9.7      
創作の現場(6)
Contemporary Art News

 
澁澤龍彦23回忌
Missions of Hermeticum

五次元的幻想文学の再発見
──何故、かくも澁澤龍彦に魅かれるのか

ビデオエッセイ:高丘 卓

【プロローグ】
 日本文学史の土壌に、これまでなかったヘルメティズム的世界観による作品領域を創出した澁澤龍彦が没して、23年が経った。その孤高の作家を偲ぶ23回忌が、去る8月5日、作家の命日の日に、北鎌倉・浄智寺で営まれた。そこには作家、画家、学者、編集者などを中心に、なんと百名を超える人びとが集まった。今日なお、澁澤龍彦がいかに影響力を有ちつづけているかの証である。澁澤文学は、ユニバースからマルチバースという視点に科学が転換しつつある現代、その幻想性にリアリティが帯びるという、逆説性を発光しはじめているのである。澁澤龍彦亡きあと、ほとんど同様な世界を幻視しているのは、おそらく異端の映画作家デイビット・リンチただ一人であろう。真夏の「午後」の夢を7分間のビデオにまとめてみた。映像冒頭に配した絵は、いまわたしが一番注目している画家の一人、大島梢の「御山洗」を借用させてもらった。画家の眼が、澁澤龍彦同様に、5次元世界を射抜いているように観えるからである。


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【エピローグ】── 澁澤龍彦の読者について
 わたしは以前、『ホラー・ドラコニア──澁澤龍彦少女小説集成』(平凡社)というタイトルで、5巻の澁澤作品集を編集したことがある。なぜこんな短編小説の集成をつくったかといえば、まあ企画会議ふうな言いまわしをすれば、澁澤龍彦の現代的再構築(まちがっても脱構築ではない)なんていうことになろうが、要は10代、20代の読者に向けて、江戸時代に流行した黄表紙のように、現代アートの作家たちの挿絵を大胆にとりいれた絵物語シリーズを編んでみたかったからである。もちろん、商業的成功のもくろみもあってのことだが、これにはお手本があった。まだわたしが高校生だったころ、創刊したばかりの雑誌「anan」に、シャルル・ペローの童話が、澁澤龍彦訳・片山健画という組み合わせで連載され、鮮烈な衝撃をうけたのである。その残響が、頭のどこかに響きつづけていて、その後10数年たってから『ねむり姫』や『うつろ舟』などの短編小説集が出たときに、「あー、絵も入っていたらなー」と、ひどく残念で無念な思いにとらわれた。そのフラストレーションが高じて、自分で実現するはめになってしまったわけなのである。『ホラー・ドラコニア』の挿絵師たちは、会田誠、山口晃(「菊灯台」と「獏園」の二冊を担当)、鴻池朋子、町田久美で、四人の画家とも、まさに才能を咲かせんとするころであった。幸運にも彼らを起用し、またさまざまな編集的注文に応じてもらえたのは、画商の三潴末雄氏の企画への共感と全面協力があったからである。
 澁澤作品は60年代から70年代までの、いわば翻訳家、批評家としての時代と、80年代以降から死までの作家としての時代とのふたつに、大きく分けることができる。もちろん、初期に『キュノポリス』などの作品集があるように、文学青年「澁澤龍雄」も最初は作家を志してスタートした。が、澁澤龍彦として頭角をあらわし、世間にその存在感を圧倒的に示し得たのは、サドの『悪徳の栄え』の翻訳によってである。以後70年代のある時期まで、澁澤龍彦はわたしたち読者の前で、ヨーロッパ異端思想の紹介者として独走していたように思う。わたしの最初の澁澤体験は、中学卒業後の春休み、荻窪の本屋で買った『夢の宇宙誌』(美術出版)で、それからというもの、最後の『高丘親王航海記』まで、すべての作品を初版で読むようになった。つまり、わたし(やわたしと同世代の澁澤ファンの読者に)とって、澁澤龍彦(の著作)は、まさに思索・思考法の規矩、規範となっていったのであり、その後の人生に大きく影響をおよぼしつづけているのである。晩年、澁澤龍彦は文春の編集者に「自分の読者は10代だよ」と語ったそうであるが、澁澤作品の永遠性の秘密は、そこにあったということになろうか。いやそもそも、古典として永く生き残る作品というものは、繰りかえしくりかえし10代の読者に読み継がれているからではなかろうか。23回忌の賑わいをみて、ふとそんな思いが込み上げてきたのである。
 会がひけて浄智寺の山門をくぐりでると、上空を、国際線のジェット旅客機とおもわれる機体が、のんびり飛行機雲を引いて飛び去っていくのが見えた。そのとき、ふと戦時中の澁澤少年の記憶が甦った。
 「山口二矢少年の顔貌をはじめて写真で見たとき、わたしはぎょっとしたような、はっとしたような、ある感慨にとらわれた。わたしの十代の頃の顔貌と、かなり似ていることを発見したのである。(中略)あの学徒勤労動員の工場で蒼空にきらめく高度一万の敵機を仰ぎつつ、凶暴な夢想にひたっていた頃は、やはり山口少年のそれに似て、豊に、みずみずしく、ふくらんでいたものである。」(『神聖受胎』「テロールについて」より)
 この感慨は、澁澤龍彦が汲みあげつづけた作品の井戸の奥底深くにひそむ、ニヒリズムの顔貌であろう。澁澤龍彦を読み継ぐということは、そういうことなのである。もちろんこれは、わたしの独断ではあるが。……


【注】── なお、若い読者のためにつけくわえれば、山口二矢少年とは、1960年10月12日、日比谷公会堂の壇上で数千の聴衆を前に演説中の、当時の社会党委員長・浅沼稲次郎を刺殺した、17歳の右翼少年である。この模様はテレビ中継されていて、日本中を震撼させた。小学生だったわたしも、この恐ろしい光景を、何度もなんども食入るようにながめたものである。若いテロリストの標的は浅沼稲次郎氏のほかにも数人いて、さながら今日のタリバーンのように、左翼政治家や思想家たちを震えあがらせたのである。


高丘卓

高丘 卓 (たかおか・たかし)
 現代アート評論家。ビデオ・エッセイスト。「ランティエ叢書」編集長(角川春樹事務所)などを経て、現在平凡社編集局で文芸書の編集を手がけている。ヘルメティズムの視点から、2003年に澁澤龍彦「ホラー・ドラコニア」(平凡社/全5巻)をまとめる。和光大学人文学部人間関係学科卒。

 
 
 


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