二〇〇八年の初夏、わたしはミヅマ・アートギャラリーの三潴末雄氏に誘われて、辛酸なめ子さん、植島啓司さんらとともに、出雲大社本殿の天井画を見に行った。

blAcK butterfly
2008 木製パネル、アクリル 1165×725mm
撮影:宮島径
■心身を清めて
オオクニヌシの住まいである出雲大社本殿は、六十年に一度の遷宮があって、ふだん非公開のその絵が、この期間だけ一般公開されるというのである。出雲特有の降るのか晴れるのかはっきりとしない天候のなか、わたしたちはお祓いをすませ、心身を清めて本殿に向かった。
門をくぐると気配は一変した。目の前に急な階段が立ちはだかり、それが本殿へと連なっているのだ。欄干をたよりに、神妙な面持ちでその階段をのぼりきると、板壁を取り払われた神室が、巨大な口を開けたようにあらわれた。
■天井に目を凝らす
期待をふくらませ、神聖なる空間の薄暗い天井に眼を凝らす。するとそこには鮮やかに彩色された、奇妙な形の七つの雲の絵が描かれていたのである。
なんだ、それだけか、と思う人もいるかもしれないが、わたしには、この雲に見覚えがあった。ある特殊な夢のなかによく現れる雲なのである。特殊なというのは、たとえば深い眠りに陥ちたときに、ふと無意識に誘導されるような感覚をともなって見る夢のことである。
夢が見る夢とでもいをうか、わたしの場合、その際きまって、この雲と同一と思われる雲が出現するのである。

生造-1 2002
パネル、紙、アクリル、製図用インク、カラーインク
910x450mm
■「虫神」
うーん、と、しばらくその雲を見上げていると、なんだか体中がちくちくして、背中のあたりがもぞもぞしはじめたかとおもうと、スクナビコナ、という声がどこかで響いたような気がした。オオクニヌシの国造りの手伝いを終えると、栗の木にのぼり常世の国に飛び去ったという、あの小人神スクナビコナである。
世界中の神話に、鳥や獣や虫や草木に変身する物語がかならずといっていいほど登場するが、スクナビコナが、それら変身譚のなかの「虫神」であることを最初に指摘したのは、国文学者の益田勝実氏(「古代人の想像力」)である――もう何十年もまえに読んだ、澁澤龍彦の『幻想の博物誌』のなかで、わたしはこの話にであった。雲を眺めいているうちに、そのことを突然思いだしたのである。
■深海からも沸きあがる
大島梢の絵にも、これとよく似た雲がしばしば現れる。その雲は、蒼黒い天空に突然出現し、巨大な竜巻のように渦をまいて降りてくるかと思えば、またあるときは、暗黒の深海から沸きあがる無数のくらげの大群のように出現する。

生造-2
2002
パネル、紙、ペン、パステル、カラーインク
1423x760mm
■神秘体験
目撃者にただならぬ気配を生じさせずにはおかない、雲と思われるそれらの生成物は、散りぢりになったり一体化したりしながら、よりいっそうの変身(植物になったり動物になったり、または分子の粒子のようになったり)をくり返しながら、それがなにやら、異界からの意味をもった暗示であるかのような印象を遺して去ってゆくのである。
何百年かまえに、出雲大社の天井画を描いた絵師も、きっと似たような神秘体験を得ていたにちがいあるまい。そんなわけで、わたしはこの雲にみちびかれて、現代女流画家、大島梢が描いた幻想風景を、訪ね歩くことになった次第なのである。それはシャーマンの眼がとらえた、もうひとつの世界への旅でもある。
(美術評論家)
協力:ミヅマ・アートギャラリー=三潴末雄
(c) OSHIMA Kozue
Courtesy Mizuma Art Gallery
|